要約

  • 2010年12月、国連総会はIGFのマンデートを5年間延長する一方、改善案を集めて検討する別の手続きも設けた。
  • Markus Kummerは初期のIGF事務局を調整したが、延長の決定も後の改善勧告も、彼の権限ではなかった。

決議A/RES/65/141は、延長と改革の検討を一つの決定にまとめなかった。まずIGFのマンデートを5年間延長し、事務総長に会合の招集を続けるよう求めたうえで、フォーラムの改善が必要だと認めた。続いて、国連科学技術開発委員会(CSTD)の作業部会に、加盟国やその他の利害関係者から提案を集めて検討する役割を与えた。フォーラムをさらに続けるかは、2015年の10年評価で改めて判断する予定だった。延長は検討の時間を確保したが、改革の中身までは決めなかった。(A/RES/65/141)

この限界は後から付け加わったものではない。2005年、当時の事務総長Kofi Annanは、構想中のIGFを難しい論点を議論する場と位置づけ、決定権は持たないと説明していた。(Kofi Annanの回顧)

Markus Kummerは、その会合を成立させる事務局の仕組みづくりに長く関わった。スイスの外交官で、同国外務省の電子問題担当特使を務めた後、2004年に国連に加わった。最初はインターネット・ガバナンス作業部会(WGIG)の事務局を調整し、のちにIGF事務局のエグゼクティブ・コーディネーターとなった。IGFの歴代職員記録によれば在任は2006年から2011年1月までで、公式略歴は最初の5回の年次会合を準備・運営したとしている。運営上の貢献は大きいが、事務局にフォーラムのマンデートを決める権限があったわけではない。(IGF略歴; 歴代職員)

この区別は、世界情報社会サミットの準備過程に向けたKummerの2004年提案にも表れている。WGIGの作業を二層に分け、限定されたグループが事実を集めて報告書案を作り、公開協議で各国政府やほかの関係者から意見を募るという案だった。少人数の作業は効率を高め、開かれた協議は参加の裾野を広げる、という考え方である。KummerはWGIGを交渉機関ではなく、事実調査と報告を行う場と説明した。これは彼の方法論上の提案であり、すべてがそのとおり実行された証拠でも、彼が結論を支配した証拠でもない。(Kummerの2004年文書)

WGIGの報告は集団の成果だった。40人のメンバーで構成され、Nitin Desaiが議長を務めた。2004年11月から2005年6月にかけて4回会合し、関係者との協議も実施した。対話のためのフォーラムを提案した一方、より広い監督体制について一つの案に合意できず、複数の選択肢を報告書に残した。これをKummer個人の成果として語れば、事務局による支援、議長の役割、任命されたメンバーの判断を混同することになる。(WGIG報告書; 国連発表)

2010年の手続きでも、役割の分離は続いた。国連総会がフォーラムを存続させ、CSTDの改善作業部会はどの提案なら支持を得られるかを検討した。2011年、経済社会理事会(ECOSOC)は、作業部会が当初の期限内に勧告をまとめられなかった理由として、資料の量と複雑さ、政治的な微妙さ、意見の相違、限られた時間を挙げた。そこで作業部会の任期を延長し、検討を続けた。この記録は遅れをKummerの責任とはしていない。改善案の審査は別の機関の仕事だった。(ECOSOC決議2011/16; CSTD作業部会報告書)

Kummerがコーディネーターを退いたのは2011年1月31日である。3週間後の公開協議では、長期的な運営体制が決まるまでChengetai Masangoのもとで事務局業務が続いていた。議事録には、2月会合の開催を保ち、その間に今後の体制を整えるため、Kummerが多国間諮問グループ(MAG)の暫定的な更新を提案していたことも記されている。これは運営を途切れさせないための限定的な措置だ。会合を続けながら、将来の枠組みを決める権限は別の場所に置かれたままだった。(2011年2月23日公開協議)

この経緯は、改革に成功した個人の物語でも、失敗した責任者の物語でもない。事務局は日程を組み、対話の場を整える。参加者は提案を出す。CSTD作業部会はそれを検討し、国連総会はマンデートを延長する。これらを一括して「参加」と呼ぶと、意見を述べる機会を決定権と取り違え、期限延長を合意と見なすおそれがある。Kummerが退任した後にも手続きが続いたからこそ、招集と決定の境界が見えやすい。