Summary

  • 英語版Wikipediaは2002年1月25日にUseModWikiからPHP/MySQLの「Phase II」へ切り替わった。変換プログラムが移したのは既存記事の最新版で、以前の版の復旧は別の仕事となった。プロジェクトの年表は同年9月に一部を復旧したと記す。
  • 2002年8月のメールでは、開発者と編集者が古いバックアップ、インポート、著者の表示を論じた。2010年12月、開発者のTim Starlingは2001年のバックアップ3組と、1月15日から8月17日の変更を記録したログを見つけたと報告した。

現在の記事が開けることと、その記事ができるまでの過程をたどれることは違う。Wikimediaのプロジェクト年表は、英語版Wikipediaが2002年1月25日にPHP/MySQLのエンジンへ移ったと記す。それ以前のUseModWikiはPerlで書かれ、ページごとにテキストファイルを置いていた。Magnus Manskeは増える利用とWikipedia固有の機能に対応するため、新しいプログラムを作った。MediaWikiの公式な歴史によれば、移行時の変換プログラムは既存記事の最後の版を新しい形式にした。

Phase IIでは、議論ページを分ける名前空間、ウォッチリスト、投稿履歴の表示、保守用ページなどが使えるようになった。編集の現場には大きな改善だった。一方、最後の版をデータベースに置く処理は、そこへ至るすべての旧版を結び直す処理とは別だった。年表が記すUseModWiki時代の履歴の部分的な復旧は同年9月であり、サイトの切り替えから数か月後になる。

その空白について、当事者は8月には話し合っていた。Brion Vibberが27日に送ったメールは、古い版を戻す需要がまだあるかと問いかけた。新データベース向けにインポートプログラムを直せるが、元のデータが要る。移行の数週間前のバックアップなら手元にあるかもしれないが、より新しいものが望ましい、と説明した。復旧には受け皿と材料の両方が必要だった。

Axel Boldtの返信は、誰が書いたかを追える履歴がライセンス上の帰属表示に関わると訴えた。Daniel Mayerの返信は、旧版を現在の履歴に統合するのが難しければ、現在の履歴ページから古い履歴へリンクを張る案を示した。自分が手作業で多くの記事を別の題名へ移した経験も挙げた。履歴が保存されていても、題名との接続が切れれば読者は著者の足跡に届きにくい。

古いソフトウェアの保存方法も障害だった。Tim Starlingの2010年の報告によると、UseModWikiは約1か月たった旧版を消去していた。Brionが書いた履歴インポートプログラムが拾えたのは、その時点で残っていた版だけだった。2002年の最新版だけを運ぶ変換と、旧システム自身が古い版を消していたことは、別々の制約である。

2010年12月、StarlingはSourceForgeに残るwiki.tar.gzを開き、2001年2月、3月、8月のWikipedia本文の完全なバックアップを3組見つけた。さらにUseModWikiが変更を追記していたdiff_logとrclogを確認した。彼の説明では、両ログには2001年1月15日から8月17日までの変更が含まれる。8.4 MBのログ集も公開した。同じメールのやり取りにはXMLへの変換を試み、制御文字の問題にぶつかった記録もある。

見つかったファイルは、それだけで公開ページの履歴欄に姿を現すわけではない。現在の記事、履歴画面、バックアップ、変更ログは異なる記録だ。2002年に現在の記事を読めるようにした判断と、著者の記録を回復する作業には、別の人手と時間がかかった。2010年の発見は、失われたと思われた材料が運用中の画面の外に残っていることを示した。

一次資料