要約

  • 2003年10月、APNIC、ARIN、LACNIC、RIPE NCCがNROを設立した。NROは当初、法人化されない調整機関で、全会一致で委任された事項だけを扱う設計だった。
  • 2004年のASO協定により、NROはICANNのAddress Supporting Organizationの機能を担ったが、世界共通の番号政策も各地域の手続とICANNの合意を経ることになった。

世界のレジストリではなく、協定

Number Resource Organizationの覚書には2003年10月24日の日付がある。署名したのは、当時活動していた四つの地域インターネットレジストリ(RIR)、APNIC、ARIN、LACNIC、RIPE NCCだった。新しいアドレス資源のプールや第五のレジストリを設けたのではない。各レジストリが共同で扱うと決めた事項のために、協調の仕組みを置いた。

この区別は重要だった。番号資源の管理は、すでに地域の組織を通じて行われていた。世界規模の提案が必要になることはあっても、ネットワークを支え地域政策を運用する組織は、すべての地域判断を新しい中央組織に渡さずに連携する方法を要した。覚書は、共同作業の範囲、代表者、合意条件を文章で定めた。

最後の創設RIRが署名した日からNROが運営を開始する、と覚書は規定した。NROは当初、法人化されない。法的義務を負うには、四つのRIRのCEOによる事前の書面承諾が必要だった。さらに、合名、代理、フランチャイズの関係を成立させるものではないと明記した。共通の代表ができても、個々のレジストリの権利が自動的に移転したり、他者の発言すべてに拘束されたりするわけではなかった。

改革案から四つの署名へ

この協定は、2002年から続く制度改革の議論の中で形づくられた。RIRはICANNの進化・改革案に共同で回答し、政策審査とアドレス管理の役割分担を提案した。2002年10月の設計案には「Number Resource Registry」構想も含まれていた。しかしそれは提案であり、翌年に署名されたNROそのものではない。2003年11月の公開書簡は、議論の経緯を示し、共同作業を正式に置く理由を説明している。

書簡は当時のRIRが認識していたリスクも記録した。民間企業であるICANNが機能を失えば、未割当番号のプールが凍結し、各レジストリの運営に影響する可能性があるという懸念である。これは継続性を考えるための想定であって、ICANNの破綻を予告したものではない。2012年の独立レビューは、この非常時の仕組みは実際には必要とされなかったと記した。史実として言えるのは、創設者がICANNの枠組みにとどまりながら、調整の継続性と外部との共通窓口を求めたことだ。

覚書は三つの機関に役割を分けた。各RIRの理事会が一人をNRO執行評議会に選出する。執行評議会は、明示的に委任された事項でRIRを代表できる。資源を使う約束は、評議会の全員一致と、RIRから実際に提供された資源の範囲に限られた。議長職は年ごとに交代する。

NRO番号評議会は別の構成と役割を持つ。各RIRから理事会が任命する一人と、その地域の政策フォーラムが選ぶ二人が加わる。番号評議会は、世界政策案について助言し、外部との相談窓口となる。2003年の覚書では、RIRメンバーなら誰でも世界政策案を提案できた。評議会は、地域の手続が文書に沿って行われたかを確認し、批准を勧める前に公開の最終コメント期間を設ける。この仕組みはコミュニティの参加経路を置いたが、すべての利用者が評議員を直接選ぶことや、番号資源を所有することを意味しない。

年ごとに交代する事務局は管理と情報公開を担う。法人化されない間、NROに有給職員は置けない一方、RIRは人員、資金、機材やサービスを提供できた。法律上の仕組みと運営方法は同じ境界を示していた。共通作業はできるが、恒久的な中央職員や自動的な義務移転は必要としない。

2004年に変わったICANNとの接点

最初の覚書はレジストリ同士の協定だった。ICANNとの関係には別の文書が必要だった。2004年4月、ICANNとNROは意向書を公表し、最終承認には各当事者の意見募集が必要だと説明した。ASOの最終覚書は10月21日に締結され、10月29日に公開された。

この協定で制度上の接点が変わった。NROがICANNのAddress Supporting Organization(ASO)の役割と機能を担い、NRO番号評議会がASOのAddress Councilを構成する。1999年のASO覚書、2001年の改訂、2002年に加わったLACNICの加入文書は置き換えられた。番号政策に関して、ICANNの枠内で話す集団的な相手が明確になった。

それでも政策は、地域から世界へ進む。2004年の協定では、世界政策は各RIRの政策形成手続を通じた全地域の合意とICANNの合意を要し、IANAなどICANN関連機関による具体的な実施も必要だった。案は各地域の手続に入り、共通文言がまとめられてRIR理事会が承認する。その後、Address Councilが手続を確認し、ICANN理事会が批准する。共通の評議会は経路を点検して提案をつなぐが、政策を作った地域フォーラムに取って代わるわけではない。

公開記録には日付の違いがある。NROの歴史ページは、RIRが公開書簡を2003年10月31日に提出したと記す。一方、書簡のウェブページには11月6日と記載されている。記録からは、報告された提出日とページの日付は確認できるが、間の日数の理由は分からない。署名された覚書の日付は明確で、10月24日である。

協定が定めたもの、定めなかったもの

NRO協定は、代表者、事務局、世界政策の手続を備えた調整制度を作った。2004年の協定はそれをICANNのASOに接続した。世界的な番号資源の対応が必要な政策は、もはや一地域だけの判断でも、ICANN理事会だけの問題でもない。地域の合意と世界的な実施を結び付ける必要があった。

文書は、NROがインターネット番号を所有する、ネットワークの経路制御を行う、またはRIRの地域手続を覆せるとは定めていない。形式上開かれた手続が常に幅広い参加を実現したと証明するものでもない。文書が示すのは権限の設計であり、各フォーラムの出席や個々の決定の代表性を測るものではない。Heng Luのノート73は、統治と代表選出に関する分析上の問いとしてのみ参照し、NRO成立の史料には用いていない。

実務上の交換条件は限られているが明瞭だった。レジストリは、ある事項を委任すると合意した場合に共通して発言できる。しかし共通の声は、権限と資源を提供する各機関に説明責任を負う。ネットワーク運営者にとって、この境界は世界的なアドレス政策をどこで提案し、調整し、批准するかを決める。NROは調整を可視化したが、全会一致によってその調整は常に条件付きのままだった。

出典