要約

  • BolNETの起点は一般に1989年とされるが、1996年の最高法令が記録したのは、ENTELの研修機関とサン・アンドレス大学(UMSA)が1990年8月15日に交わした書面上の合意である。二つは異なる段階を指す。
  • 最高法令24385号はBolNETを国家科学技術評議会(CONACYT)の特別プロジェクトとし、技術・行政・財務上の自律性を認めたうえで、ENTELとの協定に基づく国内外の付加価値データ伝送を認めた。
  • 後年の歴史研究は、ボリビア大学学術ネットワークの全大学への接続が1999年に完了したとする。同じ記述は、誰が利用できたのかを示す精確な情報はないとも述べる。

分析

「始まった年」と「使えた年」は同じではない

国連開発計画(UNDP)は、UMSA電子工学科との技術協力でBOLNetを実施し、ボリビア初のインターネット接続を確立した年を1989年として紹介している。Noelia Gómez Téllezが『Bolivia digital』に寄稿した章も、ラパスの大学を中心とする開始を1989年に置く。一方、1996年の最高法令は、ENTEL研修機関とUMSAが1990年8月15日、UNDPの支援を受けて非営利のデータ通信網をつくる合意を結んだと記す。

どちらか一方を正しい年として選ぶ必要はない。プロジェクトの始動と、法令が参照する書面合意は別の出来事だからだ。いずれの記述も、それだけで一般向けサービスが継続運用されていた証明にはならない。同章によれば、初期には電子メールが使われ、ENTELはデータ転送を支える電話回線を供給し、1993年までに200台のコンピューターを結ぶネットワークが形成された。その年、UMSAがBolNETの物理・論理ネットワークを担うことになった。学内網、伝送回線、国外サービスへの接続は相互に必要だが、同一の層ではない。

1995年7月26日付のNetwork Startup Resource Center(NSRC)の記録は、当時の状況を示す小さな窓だ。経路追跡はutama.bolnet.boに到達したが、すべてのホストがまだ稼働しているわけではないとの注記がある。これはIP到達性が観測できたことと、運用が未完成だったことを同時に示す。全国の稼働率や利用者数は分からない。国際電気通信連合(ITU)の2001年ケーススタディは、1995年12月の衛星回線や商用サービスの拡大をその後の段階として扱っており、大学ネットワークの起動と一般への提供を同じ出来事にしていない。

1996年の合意はネットワークを置き換えるのではなく役割を組み合わせた

CONACYTとENTELは1996年2月29日、インターネットサービスを共同で提供する協力協定を結んだ。10月15日の最高法令24385号はBolNETをCONACYT内の特別プロジェクトとして確認し、技術・行政・財務面での自律性を明記した。第3条は、協定と電気通信法に従って国内および国外向けデータ伝送の付加価値サービスを認める。第4条は、BolNETがサービス販売による収入を管理できるとした。

これは大学ネットワークがそのままENTELへ移管された、という単純な話ではない。BolNETには大学の現場で培われた知識とネットワーク運営があり、ENTELには輸送・伝送能力と異なる規模の運用組織があった。『Bolivia digital』に収録された後年の証言は、共同提供に至った理由について一致しない。Clifford Paraviciniは、大学組織が商業サービスを担う難しさと設備投資の重さを挙げる。Marco Antonio Vargasは、工学科がすでに投資していた以上、稼働中の事業を共同化する理由はなかったと述べる。この食い違いは意思決定が争点だったことを示すが、全員の動機を一つに決める材料ではない。

市場環境も狭く正確に説明したい。後年の章によれば、1995年11月にETI-STET InternationalがENTELの株式50%と経営権を得た。第1632号法の第32条が6年間の独占を認めた対象は国内・国際長距離電話であり、あらゆるインターネットサービスではない。BolNETのデータ伝送権限は、これとは別に1996年法令とENTEL–CONACYT協定で定められた。

回線の完成から利用者の数は分からない

後年の章は、BolNET職員がENTEL職員にネットワーク管理を教え、ENTELが学術ネットワークの大学へ無料の回線を提供したと記す。1995年にはサンタクルスとコチャバンバにノードが設置され、1999年には参加する全大学への接続が終わった。ラパスを越えてネットワークの地理的・制度的な範囲が広がったことは確かだ。

ただし大学の回線がどの建物まで届いたのか、容量は十分だったのか、利用資格は誰にあったのか、実験室は何時に使えたのか、他学部の学生も接続できたのかは別問題である。章の著者自身が、アクセスできた人を特定する情報がないと認める。同じ章にある私立大学の証言では、制度上は全職員に開かれたサービスでも、実際に使ったと語られたのはシステム工学の学生と教員だった。これは一大学の例で、全学の実態を代表しない。だからこそ接続の存在と社会的な利用を別々に確かめる必要がある。

現在の資料から言えるのは、大学発の取り組みがENTELと共同で提供するデータサービスになり、複数都市と参加大学に広がったということだ。どれだけの人に届いたかは明らかでない。この未解決部分も歴史の一部であり、ネットワーク拡張の成果を打ち消すものではない。

出典

証拠の限界

1989年は後年の機関史が示すプロジェクト開始年で、1990年は1996年法令が記す合意日である。NSRCの経路追跡は一時点の観測で、全国のサービス監査ではない。1999年の完成と利用者の不明確さは、聞き取りを含む後年の章に基づく。継続稼働、個人の利用者数、各大学での同等なアクセスを証明する資料はここにはない。