要約

  • Datacomの衛星ゲートウェイには、地上設備を買うための融資と、毎月の衛星回線料を支える別の資金が必要だった。
  • 1月5日の技術メッセージと1月17日の公開式典は別の節目だった。ゲートウェイに到達できても、それだけで全国の利用者が接続できたわけではない。

1996年1月5日、米国科学財団(NSF)の国際接続担当者Steve Goldsteinは、モンゴルの回線が稼働したと報告した。ただし、同じメッセージには重要な条件が記されている。SprintからウランバートルのDatacomルーターまでは到達できたが、Datacom側にはSprintへ戻るデフォルトルートの設定が残っていた。報告されたテストは50パケットを送り、50パケットを受信し、往復時間の平均は719ミリ秒だった。これは特定時点に一台のルーターへ届いた記録であり、一般利用者の通信品質を測ったものではない。(Network Startup Resource Centerが保存するNSFのメッセージ)

12日後、Datacomはインターネットセンターの公開式典を開いた。Punsalmaagiin Ochirbat大統領のほか、政府、科学、教育機関の関係者が参加した。DatacomのDangaasuren Enkhbat総局長は翌日のメールで、60組織から100人以上が集まったと報告している。米国大使Donald C. Johnsonの記録では、設備は12月に設置され、式典前にSprintの技術者が試験を行った。ルーターへの到達、設備試験、公開式典はつながっているが、同じ出来事ではない。(Enkhbatの1月18日付メール;Johnson大使の記録)

衛星接続の前には、より小規模な通信があった。1994年末、DatacomはUUCPを使うダイヤルアップ・ゲートウェイで国内のメッセージシステムを米国のInstitute of Global Communicationsに接続した。電子メールとUsenetニュースは当初、週に2回まとめて転送され、利用者が増えるにつれて頻度が上がった。Datacomは常時接続を目指した。国際開発研究センター(IDRC)の1997年報告によれば、Sprintとの協力でPanAmSat 2を経由する128 kbit/sの衛星専用線が整えられた。変わったのは速度だけではない。IP接続なら、次のメール転送を待たずに対話型サービスやWebを利用できる。(IDRCのPan Mongolia事業報告)

資金も二つに分かれていた。設備向けの融資は、米国大使館とモンゴル商工省が管理する回転資金から出た。資金源は米国農務省が寄贈した余剰バターやバターオイルをモンゴル政府が販売して得た収入だった。Johnson大使によると、DatacomはまずSunコンピューターを購入するために借り入れ、その後、衛星アンテナと地上局のための融資を求めた。機器、輸送、設置の費用は合計で約10万米ドルと見積もられている。融資は1995年8月か9月に承認され、Comstreamの設備は11月下旬から届き始め、輸送の遅れを経て12月に設置された。

毎月の運用費には別の仕組みが必要だった。Johnson大使は、Datacomが科学機関に非常に低価格の接続を提供するなら、NSFが衛星チャンネル料として月5,000~7,000米ドルを負担できるかもしれないと記している。対象として挙げられたのは科学アカデミー、自然環境省、国立大学、国立工科大学だった。IDRCの後年の報告では、1996/97年度の教育機関への無料アクセスが条件と説明される。表現と期間は完全には一致せず、どちらも実際の支払額を監査した記録ではない。モンゴルの業界団体Gemnetは2022年の回顧で融資額を5万米ドル、利率を4.8%と記したが、この数字を大使館の設備費見積もりに足し合わせることはできない。(Gemnetの回顧記事)

一度の融資で設置したアンテナはウランバートルに残るが、それで翌月の回線料まで支払えるわけではない。運用支援は対象機関の費用を下げても、すべての学校や家庭を無料で接続する約束ではなかった。さらに衛星ゲートウェイだけでは国内配信も解決しない。IDRC報告は不安定な電話回線、電力事情、コンピューター不足を挙げ、地域に接続を広げるには国内インフラが必要だと指摘した。1996年の『ワシントン・ポスト』は、科学者や学生が図書館へアクセスする可能性を伝えたが、その構想は全国ネットワークの完成を意味しない。(The Washington Post, 1996年2月29日)

1996年の接続は、世界のネットワークにつながる実際の入口であると同時に、月々の費用、対象機関、国内の配線や電力に制約されたサービスでもあった。融資はゲートウェイを組み立て、条件付きの支援は回線を維持しようとし、Datacomはその国際経路を利用者の接続に変える必要があった。