要約

  • 2000年の公開協議から2002年のHKIRC発足まで、.hkの管理移管はいくつもの段階を踏んだ。運営上の移転と一般向けの発足式は同じ日ではない。
  • 変わったのは登録サービスとその運営主体である。この事実だけではDNSルートの変更も、すべての技術機能が一斉に切り替わったことも示せない。

一つの日付では語れない引き継ぎ

ルートデータベースの登録日は、限られた問いに答える。誰が申請を処理したのか、登録者がどの規則で名前を変更できたのか、どの組織がサービスを支えたのかまでは分からない。.hkの経緯は、これらの時間軸を一つにまとめるべきでない理由を示す。

香港政府は2000年6月、インターネットのドメイン名とアドレスの管理案について公開協議を行った。回答者の多くは、大学合同コンピュータセンター(Joint Universities Computer Centre、JUCC)から、新しい非営利・非法定組織へ管理機能を移す案を支持した。協議では登録規則の柔軟化と紛争解決も扱われた。誰が .hk を管理するかという制度上の問いと、登録者が実際に何をできるかが一つの改革に結び付いていた。

新組織の発足より先に、利用者向けの変更が始まった。2001年6月1日から企業は .hk 名を複数登録でき、双方の合意があれば移転できるようになった。JUCCの子会社であるHong Kong Domain Name Registration Company Limited(HKDNR)が新制度を導入した。対象となる商標権者には8日間の優先期間が設けられ、Hong Kong International Arbitration Centreが紛争処理を担うことになった。新条件の登録料と年次更新料はそれぞれ200香港ドルだった。既存の登録者は年会費のない旧契約を続けられたが、新サービスは使えなかった。資料が示すのは選択肢であって、全登録名の一斉移行ではない。

HKIRCは2001年12月14日に設立された。後年の立法会文書によれば、2002年3月25日まではJUCCが完全子会社HKDNRを通じて .hk を管理していた。3月15日付の売買契約に基づき、JUCCは3月25日にHKDNRの全株式をHKIRCへ移し、.hk管理に関する利害を手放した。政府の4月22日の発表はHKIRCの発足と機能移転の完了を記し、同日に政府とHKIRCの覚書も結ばれた。法人設立、運営移転、公的な発足は別々の節目だった。

引き継がれたのは組織名だけではない。立法会議事録によると、JUCCへの1,000万香港ドルの支払いは先駆的な貢献を認めるもので、移転した機器とデータベース、移転後も続いた技術支援を考慮して合意された。政府はHKIRCの立ち上げに650万香港ドルの融資を行い、実施中の設備や人員のためJUCCにも別の助成を発表した。これは計画された移行の費用を示すが、.hk空間自体の価格ではない。

登録機関とルートを分けて考える

ドメイン登録はインターネット上の複数の調整機能の一つだ。登録機関は規則に沿って記録と変更を扱う。DNSサーバーは公開されたデータを使って問い合わせに応答する。ルートゾーンはトップレベルドメインを委任する。各機能は関係するが、登録運営会社の交代だけからDNSルートの変更や権威サーバーの一斉置換を推定することはできない。

日付にも食い違いがある。2002年の政府発表はJUCC会長の発言として、.hkは1989年に登録されたと伝える。一方、IANAの現在の委任記録は1990年1月3日を示す。確認した資料は違いを説明していないため、どちらか一方を物語全体の起点にしてはならない。IANAの現行記録は現在の管理者を示すもので、過去の運営者を網羅する年表ではない。

香港の事例が伝えるのは段階的なサービス移管である。公開協議、HKDNRによる登録規則の変更、HKIRCの設立、株式とデータベースの移転、そして公的指定の確定。連続性は一つの法人日付ではなく、複数組織の間で各要素をつなぐことで保たれた。

資料:香港政府、2001年4月26日、香港政府、2002年4月22日、立法会議事録、2002年2月8日、立法会文書、2009–10年、IANA .hk委任記録; 立法会の公開協議文書、2000~01年)。