要約

  • PubliNetは、一般客向けのカフェ、小規模な民間運営者、立ち上げ支援、民間ISPの回線を組み合わせた。
  • 利用規則は運営者にセッションの管理を担わせた。顧客記録と利用後の残高提示に加え、保存と印刷も運営者の管理下に置かれた。

公共の入口の内側には運営者がいた

チュニジアは1998年10月、一般利用者がインターネットに接続できる小規模な施設を全国に広げるPubliNetを始めた。翌年、チュニジア・インターネット庁の担当者は国際電気通信連合(ITU)の会合で、1999年末までに100か所を設ける目標を説明した。同じ発表は、当時すでに運営していた13か所を挙げている。チュニスやナブールから、ガフサ、メドニン、ケビリまで広がっていた。100は目標、13はその時点の報告数であり、目標の達成や地域ごとの同一サービスを証明しない。

資金は一種類ではなかった。試験施設は当初、費用の50%と低利融資を受けた。接続は、民間インターネット・サービス・プロバイダーが設置した複数の64 Kbpsノードを通じていた。標準的な施設には5~10台のPCがあり、スキャナー、コピー機、プロキシサーバーは任意とされた。利用者は自分で機器や回線を用意せずに接続できる一方、施設は独立した公的ネットワークではなかった。上流の回線は民間ISPに依存し、サービスの調整は政府機関の枠内にあった。

1996年に設立されたチュニジア・インターネット庁(ATI)は、その構造の中心にいた。ITUの国別報告は同機関の調整・バックボーン機能を記し、後年のHuman Rights Watchは接続がATIを経由し、国際ゲートウェイもATIが管理していたと報告した。PubliNetはアクセス場所を地域に置きながら、上流の運用主体を分散させたわけではない。

運営条件を見ると、カフェは端末を並べただけの部屋ではなかった。Human Rights Watchは1998年12月10日付の通信担当大臣の命令を引用し、施設は民間所有でも省の権限下で運営されたと説明した。コンピューターからディスクドライブを外し、少なくとも一台は印刷とリムーバブル媒体への保存ができるようにする一方、その操作は所有者だけが行えるとされた。報告は顧客データベースの作成、利用ごとの残高提示、メディアに適用される職業規範への準拠も記録している。

この仕組みはセッションの途中に管理点を置いた。利用者はネットに接続できるが、画面上の内容を保存・印刷する経路は運営者が握る。顧客記録は、利用を施設内の帳簿上で人に結びつける。ただし、閲覧したすべてのページが記録された、全員が身分証を提示した、各施設が一様に従った、という証拠ではない。HRWは条項を紹介し、現地観察を記しているが、今回確認した資料には命令の完全な本文は含まれない。

ITUの発表では、提供予定のサービスとしてインターネット、ウェブ、電子メール、技術支援が挙げられた。スキャナーと任意のコピー機も設置内容に含まれ、オフィス作業をオンライン接続の場に持ち込んだ。1990年代の接続には、ファイルの扱いを支える人や紙の出力も必要な場合があった。ただし資料が示すのは計画であり、監査済みの利用量、料金、稼働率、利用者の成果ではない。

Human Rights Watchの後年の報告は、人口約1,000万人の国に約300のPubliNetがあったと推計した。この数は1998年の試験施設数ではなく、報告時点の推計である。ITUの1999年資料が示した目標100と当時の報告数13を、後の数字と混ぜてはならない。日付を分けることで、計画を達成実績と取り違えずに済む。

資料から導ける結論は限定的だ。チュニジアは補助を受けた地域施設を通じ、接続できる場所を増やそうとした。同時に、保存、印刷、利用記録などを行う過程に運営者を置いた。「公共アクセス」は施設に入れることを表すが、匿名性、利用者自身によるファイル管理、通信の秘密、無検閲の接続を保証しない。アクセス拡大の効果と限界は、同じ運営構造から生じていた。

資料:ITU「Tunisia PubliNet Project」(1999年)、ITUチュニジア国別事例、Human Rights Watch「Internet Cafés in Tunisia」; HRW「チュニジア国別報告」(1999年)、政令98-202号の記録。