要約

  • Pineは1992年に初公開された。数百人の事務職員が使うワシントン大学のメインフレームメールを置き換える目的で始まった。
  • IMAPのクライアント・サーバー方式は、端末の画面と中央保存のメールボックスを分離できた。1992年にPineやIMAPが普及していたとは資料から言えない。

Pineの初公開が1992年だったことは明確な節目だが、その年に何人が導入したかまでは示さない。ワシントン大学のIT史によれば、Pineは数百人の事務職員が使う学内メインフレームのメールシステムを置き換える目的で開発された。出発点は、普遍的なインターネット受信箱の構想ではなく、大学の具体的な運用課題だった。

この経緯は、ある機械が別の機械に置き換わった話に見えやすい。資料が示すのは、むしろ機能の分離だ。利用者端末でメールプログラムを動かしながら、メールボックスはサーバーに置いておける。Mark Crispinは1990年のRFC 1176で、IMAP2を、パソコンやワークステーションからメールボックスサーバー上のメールにアクセスするためのプロトコルとして説明した。クライアントと保存場所は別の構成要素だった。

これによって「自分のコンピューターにメールがある」という意味が変わる。端末から読めても、その端末がメールボックスの恒久的な置き場とは限らない。互換性のある複数のクライアントが、同じ中央保存のメールにアクセスできる。ただし、適切なサーバー、ネットワーク接続、アカウント、設定がそろう場合に限られる。

Pineはクライアントの役割を分かりやすい画面で担った。1993年9月21日付のFOLDOC項目は、初心者向けの画面型プログラムとして、覚えやすいコマンド、常時表示されるメニュー、操作への反応、誤操作への配慮を挙げている。IMAPによるリモートフォルダーにも触れる。これは1993年までに記録された機能で、1992年の利用者全員が遠隔アクセスしていた証拠ではない。2007年に大学はPineを中央保存メールへの遠隔アクセスに対応した初期のクライアントの一つと説明したが、この先駆性は大学による回顧的な主張として扱う必要がある。

したがって1992年は公開の年であり、構造上の変化は別の境界にあった。読む画面は移動しても、メールボックスはその場に置ける。PineがIMAPを発明したわけではなく、全てのメインフレームやメール保管先を置き換えたとも資料は示さない。確認できるのは、使いやすい端末プログラムが共有インフラの上に成り立つ実用的な移行だ。画面は利用者に近づき、メッセージまで一緒に移す必要はなかった。

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