要約

  • DANTEは1993年、欧州の研究・教育ネットワークが共同で所有する非営利の有限責任組織として発足し、国際バックボーンの計画、調達、構築、運用を引き受けた。
  • Dai Daviesの役割は、技術的な将来像を語るだけでなく、分散した要望を入札可能な仕様へ変え、供給者の履行を確認する「買い手」をつくることにあった。
  • 通信市場の自由化は選択肢を増やしたが、選択を価格・容量・移行可能性へ変えたのは、DANTEが蓄積した商務と運用の知識だった。

欧州規模の契約には誰が署名するのか

研究者は通信を使い、大学は接続を求め、NRENは国内の需要を集める。欧州の公的プログラムは資金を支え、通信事業者は回線を売る。しかし、これらの役割を並べても、国際サービス全体の買い手は自然には生まれない。国ごとに異なる条件を一つの契約へ変換し、遅延や未達について供給者に説明を求める法人が必要になる。

DANTE(Delivery of Advanced Network Technology to Europe)は、その空白を埋めるために1993年に設立された。組織の記録によれば、ケンブリッジの8人、年間売上約300万ユーロという小さな出発だった。それでも、欧州の研究コミュニティーにとって主要な国際バックボーンの監督と発展を受け継いだ。

重要なのは所有構造である。DANTEは欧州のNRENが所有する非営利の有限責任会社だった。自らが新しい国家通信事業者になるのではなく、加盟ネットワークのために市場と向き合う。大きな供給者に対し、小さな専門組織が共同需要を背景に交渉する仕組みだった。

プロトコルを選ぶ経験、選び直す能力

Dai Daviesはこの役割に技術と組織運営の双方から入った。Internet Hall of Fameによると、ケンブリッジで工学を学び、1971年から通信開発技術者として働き、のちに計算機科学を修めた。英国の初期パケット交換開発にも参加し、その後はOSI実装と独自システム向けゲートウェイを試す欧州プロジェクトCOSINEを率いた。

この時代をOSI対インターネットという勝敗だけで説明すると、DANTEにつながる教訓を見落とす。1991年、Daviesは当初X.25を前提にしていたEuropaNetへインターネット技術を導入した。技術判断は変わり得る。一方、国境を越える需要をまとめてサービスを届ける能力は、方式が変わるたびに失ってはならない。

Internet Hall of Fameは、COSINEがDANTEの創設につながったとしている。DANTEの資料はDai DaviesとHoward Daviesを創設メンバーに挙げる。Daiは1993年から2011年までゼネラルマネージャーを務めた。彼の仕事の核心は、単一の技術を固定することではなく、技術を選び直しても機能する調達主体を残すことだった。

コミュニティーの場と納品責任

欧州には1986年からRAREがあり、後にはTERENAが交流と協働の場を担った。GÉANTがHoward Daviesを追悼した記事で、Fernando Lielloは、大規模な国際バックボーンを構築・管理するには分離された専門組織が必要だったと回想している。彼はHowardを外交的な聞き手、Daiを商務に強い管理者で巧みな売り手と描いた。これは正式な職務規程ではなく、当事者の記憶として読むべき証言である。

DANTE自身はTERENAを「別個だが相互補完的」な姉妹組織と説明した。TERENAはタスクフォース、知識共有、共同サービス、会議を通じてNRENのフォーラムをつくる。DANTEはネットワークを計画し、調達し、構築し、運用する。どちらかが上位なのではない。合意を育てる場所と、期限や損害を伴う契約の当事者は、異なる責任を負う。

この分離は権限の制約にもなった。DANTEはNRENに所有されることで正統性を得るが、コミュニティー全体を代弁する無制限の機関ではない。TERENAは個々の納品判断を負わずに開かれた議論を続けられる。調整と執行を切り分けることで、双方の仕事が明確になった。

調達文書がトポロジーを決める

DANTEの戦略文書は、調達、プロジェクト管理、基盤開発、実現可能性調査、サービス提供、顧客支援を中核能力に挙げる。管理業務に見えるが、実際にはネットワーク設計そのものだ。仕様書は対象国、増速条件、障害時の責任を決める。検収条件は、供給者の「完成」を利用者側の事実に変える。移行計画は、次回の入札で乗り換えを現実の選択肢にする。

1994年5月のIETF Internet Monthly Reportは、DANTEがEuroCAIRNの契約を獲得し、34〜155 Mbpsの欧州研究基盤に必要な要件と計画を策定すると報じた。Daviesは、欧州の研究ネットワークを合理化する機会だと述べた。DANTEは回線を所有していたから強かったのではない。市場に対して何を納めるべきか定義できたから、買い手として強くなった。

調達の経験は次の調達へ持ち越せる。応札はルートごとの費用と供給者の限界を示し、検収は約束と実測の差を残す。移行は代替供給者が本当に使えるかを試す。この知識が利用者側に残れば、次の市場ではより良い条件を問える。

速度表より重要な世代交代

DANTEの年表では、EuropaNet2が1995年に10か国を接続し、1997年のTEN-34は13か国で最大34 Mbps、1998年のTEN-155は15か国で155 Mbpsのアクセス容量を提供した。その後、GÉANTは1年未満で構築された。2001年年次報告は、IXIの64 Kbit/sからGÉANTの10 Gbit/sまでを世代別に並べている。

これを全参加機関が同じ最大速度を得たという表として読むことはできない。研究ネットワークの価値も帯域だけでは測れず、可用性、到達範囲、共同サービス、実験の余地が含まれる。それでも世代の列は、同じ買い手が学習を続けたことを示す。運用の証拠が次の要件へ変換された。

2001年の報告書は、その作業を具体的に記す。上半期にDANTEはGÉANTを構成する各要素の調達を終え、契約を締結した。下半期は納品、検収、実装へ重点を移した。TEN-155を動かしたまま新基盤へ移行し、GÉANTは12月1日に全面運用となった。旧網を止めるタイミングもまた、調達主体の判断なのである。

自由化を使える形にする

欧州の通信制度は、原則として1998年1月1日までにサービスと基盤の残存障壁を撤廃した。一部の国には移行措置があり、EU文書は自由化の利益を実現するうえでアクセス協定が中心になると指摘した。DANTEの回顧年表は、市場開放を独占の後退、価格低下、容量増加と結び付ける。

Internet Hall of FameはDaviesが自由化を働きかけたと評価する。ただし、欧州の法改正はEU機関、各国政府、規制当局、新規参入者、多くの提唱者が関わる過程だった。Davies一人が市場を開いたのではない。彼は研究ネットワークの要望を示し、開いた市場を実際の選択へ変えられる組織を率いた。

免許を持つ事業者が増えても、国際サービス全体を提示できなければ競争は名目にとどまる。地域アクセスを旧独占企業が握り、見積条件がばらばらなら比較もできない。DANTEは需要を束ね、共通条件を設定し、移行を準備することで、法的な選択肢を交渉力へ変えた。

ネットワークの間に残る資産

Daviesが2011年まで監督した複数世代のネットワークは目に見える成果である。見えにくい成果は、科学者の必要を仕様へ変え、供給者を評価し、運用を受け取り、再入札へ進める人と知識が需要側に残ったことだ。

正常運転中、この能力は間接費に見える。だが買い手が自分のサービスを理解しなければ、予算を持っていても回線所有者に条件を説明してもらうしかない。DANTEは研究側の需要を市場に理解させると同時に、供給者の約束を研究側が検証できるようにした。

Dai Daviesの歴史的な位置は、プロトコルと政策の中間にある。欧州が得たのは一つの高速網だけではない。ネットワークを買い、学び、次は別の条件で買い直せる組織だった。

情報源

  1. Internet Hall of Fame「Dai Davies」
  2. Internet Hall of Fame「Preserving the Internet’s Freewheeling Spirit」
  3. DANTE「20 Years of DANTE」
  4. DANTE「20 Years of Networking Excellence」
  5. DANTE「About Us」
  6. DANTE Strategy 2012–2015
  7. DANTE「TERENA — networking the networkers」
  8. DANTE 2001 Report and Accounts
  9. GÉANT「Howard Davies: a true British gentleman at the service of research networks」
  10. IETF Internet Monthly Report、1994年5月
  11. EUR-Lex、欧州委員会指令96/19/EC
  12. EUR-Lex、通信アクセス協定に関する告示