要約

  • 2002年、キルギスの研究・教育ネットワークKRENAには1.5 Mbpsの回線があり、ビシュケクの10機関が地域網SILKに接続していた。
  • 商用ISPのAKNETがKRENAに代わってネットワークを運用した。この形は接続を早期に実現する一方、研究網と商業競争の境目を曖昧にした。
  • SILK-1の初期には東西方向の衛星送信チャネルを使う許可がなく、通信はAKNETが運用するモスクワ経由の衛星回線を通った。2005年にもKRENAからオシへの通信チャネルはなかった。
  • これらはプロジェクト参加者Peter T. Kirsteinの回顧に基づく。独立した規制記録や測定系列ではない。回線容量だけでは全国の到達範囲を示せないことがわかる。

2002年、キルギスの国立研究・教育ネットワークには、すでに1.5 Mbpsの国際回線が稼働していた。この数字だけなら、決定的な節目に見える。しかし、それだけではない。SILK-1計画についてのPeter T. Kirsteinの記録では、当時ビシュケクの10機関が地域網に接続していた。参加国の中では最多だった一方、南部の主要都市オシには2005年になっても通信チャネルがなかった。帯域幅が示すのは回線の規模であり、その回線が届いた地域ではない。Kirstein「Internet Provision for Universities in Central Asia」

接続を支えた運用形態も特徴的だった。研究・教育ネットワークKRENAは、自ら単独でネットワークを運用していたわけではない。商用ISPのAKNETがKRENAの代わりに運用していた。Kirsteinは、この構成によってKRENAは2002年に1.5 Mbpsの回線を持てたと記す。同時に、制度上の境界は見えにくくなった。既存の電気通信事業者Kyrgyz Telecomは、KRENAが商業上の競争相手になり得ると懸念していた。Kirsteinによれば、AKNETとKRENAの区別は「いくぶん不明瞭」だった。回顧には契約書も規制当局の決定も含まれないため、正式な権限の所在や懸念がどう処理されたかまでは確認できない。それでも、運用能力と組織の境界が絡み合っていたことは示している。

SILK-1にはもう一つの境界があった。特定の経路を使う許可である。地域プロジェクトの目的は、各国の研究ネットワークを欧州のGEANTへ接続することだった。ノードは衛星容量を利用した。初期段階では、KRENAはSILKノードの東西方向の送信チャネルを利用できる許可を得ていなかった、とKirsteinは述べる。そのため、通信はAKNETが運用するモスクワ経由の衛星チャネルを通った。この迂回路で接続は維持されたが、プロジェクトが想定した経路と同じものでも、同じ運用条件でもなかった。地域網自体は存在しても、予定された経路を使えるかは、地域側がまだ得ていない許可に依存していた。

これは「国がインターネットに接続した」という大づかみな歴史とは異なる。SILKの役割は、すでに存在する国別研究ネットワークに国際接続を提供することだった。国内網の整備は別の仕事である。Kirsteinは冒頭で、NATOの計画に深く関わった自分の記述には、別の主体の重要な貢献が抜けているかもしれないと断っている。その留保を踏まえれば、この回顧は有用だ。プロジェクトのトポロジーと主要参加者が見た実務上の障害を示すが、国全体の接続状況を網羅した調査ではない。

2005年にも首都と南部の隔たりは残っていた。KRENAはビシュケクの機関に良好なサービスを提供していたが、オシへの通信チャネルは得られていなかった。記録には経路追跡、通信量、品質測定はなく、オシの住民が他の事業者経由で何にアクセスできたかも書かれていない。したがって確認できるのは研究ネットワークの地理的な範囲であり、オシにインターネット接続が一切なかったということではない。KRENAのチャネルがなかった事実を、市内のあらゆる経路に広げてはならない。

その後、光ファイバーが制約を変えた。Kirsteinによれば、KRENAは国際ファイバーが利用可能になれば移行する準備があり、光ファイバーによって規制上の問題も和らいだ。GÉANTのアーカイブは、CARENが衛星中心だったSILKの接続を地上ファイバー網に置き換えたと説明し、2010年にCARENが稼働した後のKRENA-AKNETを155 Mbpsとしている。KRENAが掲載した後年のRobert Janzへのインタビューも、地域で衛星からファイバーへ移った経緯を振り返る。これらは後の伝送網を示す証拠であって、2005年にキルギスの各都市で何が許可され、接続され、測定されたかを遡って証明するものではない。GÉANTの中央アジア概要 · Robert Janzへのインタビュー

記録には見えにくい非対称性が残る。帯域幅の数字は引用しやすいが、その周りにある制約は見えにくい。誰がネットワークを運用したのか。どのチャネルが許可されたのか。実際に接続した機関と都市はどこか。2002〜2005年のKRENAの記録はすべてに答えるわけではないが、数字だけを成果とみなす見方を退けるには十分だ。1.5 Mbpsの回線はビシュケクで地域研究網を支えても、オシへの経路は未解決のままだった。容量は接続の条件の一つにすぎず、許可、運用責任、地理的な拡張も同じく重要だった。

Sources