要約
- 1995年10月にARCCが稼働させた英国向け32 Kbit/s回線は、今回確認した史料ではケニア初の本格インターネットサービスとされる。それ以前のメール網や大学での試行は、規模が限られ、蓄積転送方式を含んでいた。
- 新回線が開通しても、回線、免許、国内通話料金に対する通信事業者の支配は続いた。後年の報告は、KPTCが1996年に民間の専用回線を使ったインターネット提供を違法と主張したと記録する。
電子メールは接続より先に動いていた
ケニアの歴史は、ある日に「無通信」からインターネットへ飛んだわけではない。国際組織はすでに国内から電子メールを送っていた。Muriuki Mureithiは『Digital Kenya』で、Environment Liaison Centre Internationalが1990年にケニアからの電子メールを導入したと記す。メッセージは保存してから転送され、主に現地組織と海外の提携先との連絡に使われた。一般向けのインターネットサービスではなかった。1992年にはナイロビ大学とKenya Medical Research Instituteで電子メールが試験されていた。
「インターネットの到来」は一つの状態を指すとは限らない。組織同士がメッセージを交換できても、公衆向けサービスが常時接続されているとは限らない。大学の試行で研究者がメールを使えても、誰でも契約できるサービスがあるとは言えない。Mureithiによれば国際電話は1分約9ドルで、回線を開いたままにするより、メッセージを蓄積して転送する方が現実的だった。
1995年10月、他の非政府組織や企業にサービスを提供する現地NGO、African Regional Centre for Computing(ARCC)が、英国への32 Kbit/s専用回線を設置した。Mureithiはこれをケニア初の本格的なオンライン接続と説明する。IDRC所蔵の別の記録も、同国初の本格インターネットサービスの開始を1995年第4四半期とする。後年のCommunications Commission of Kenyaの業界報告書も、ARCC初の本格的なインターネットサービス接続を1995年10月としている。運用条件は変わり、メールが遠隔システムの定期受信を待つ必要はなくなった。ただし、誰もが契約できたことや、全サービスが常時利用可能だったことまでは史料で確認できない。
この日付はケニア国内の節目であり、東アフリカ全体の最初ではない。National Research Councilの1996年調査は、ウガンダのInfoMailが1995年8月に本格的なIP接続を始めたと記録している。ケニアの10月の接続は国内史上重要だが、東アフリカ初の本格サービスではなかった。
新サービスの相手は唯一の通信事業者だった
Mureithiによれば、1977年の法律の下でKenya Posts and Telecommunications Corporation(KPTC)が通信を独占していた。ARCCのサービスは、他の事業者が必要とする公衆電話網や専用回線を、既存事業者が管理する市場に置かれていた。
ARCCの接続後、争いは具体化した。IDRCが数年後に刊行した『African Youth on the Information Highway』は、KPTCが1996年4月に「民間の」専用回線によるインターネット提供を違法と宣言したと報告している。同書は1996年4月の『The Standard』を出典に挙げるが、今回の調査では原紙面を確認できなかった。IDRCの執筆者によると、その報告時点でもKPTCはこの立場を公に撤回していなかった。これは事業者の主張を伝える記録であり、裁判所がインターネットサービスを違法と認定した証拠ではない。
1996年の米国通商報告も、KPTCが一部のインターネット・衛星計画の認可を遅らせていたと記す。民間事業者はアクセスを販売できても、国際回線容量と顧客回線は、既存事業者の設備と許可に依存するという実務上の緊張が見える。
国際回線だけでは国内の料金は変わらなかった
1997年1月、ケニアの運輸通信省は政策声明を出した。IDRCの記述は、これをインターネットへの最初の公式な認識だった可能性があると評価する。それでも接続がすぐ安く均一になったわけではない。同じ報告は、25万ケニア・シリングの免許料、ウガンダより高い国際専用回線料金、衛星技術の制限を挙げている。
国内電話網も費用を左右した。1997年4月1日、KPTCは市内通話区域を半径60キロへ広げた。IDRC報告によると、接続拠点から遠いGarissaやケニア山地域の一部では、長距離通話料金が1分28ケニア・シリングと報告されていた。ナイロビから世界のインターネットへ出る回線があっても、利用者が国内のアクセスポイントに到達する費用は高いままになり得た。
資料が示すのは、「インターネット到来日」より細かな経過だ。メール網が32 Kbit/s回線に先行し、その回線が国内初の本格サービスを支えた。それでも既存事業者は免許、国際容量、国内アクセスに影響を及ぼした。画期的な接続ではあったが、インターネットへの一本の回線は、開かれた市場の完成を意味しなかった。
出典
- Muriuki Mureithi, “The Internet Journey for Kenya,” in Digital Kenya.
- African Youth on the Information Highway, Kenya section.
- Communications Commission of Kenya, Final Internet Market Analysis Report.
- National Research Council, Bridge Builders: African Experiences With Information and Communication Technology.
- USTR, 1996 National Trade Estimate Report: Kenya.
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