要約

  • 2022年11月28日、モーリシャス最高裁判所商事・破産部は、シルヴィオ・カブラル・アルマダ対African Network Information Centre(AfriNIC)の申立て SC/COM/MOT/000881/2022 を、同年5月16日の先行暫定命令に反する結果になるとして「set aside」とした。
  • AFRINICは11月25日付書簡で求められた命令に異議がないと述べていた。しかし当事者間の無異議は、すでに発せられ、なお効力を保つ裁判所命令を消すものでも、裁判所の独立した判断を拘束するものでもなかった。
  • 会社法136条は、取締役がいないか取締役会の定足数を下回り、通常の選任経路が不可能または実行困難な場合に、株主または債権者が裁判所へ取締役選任を申し立てられる狭い会社救済の入口である。技術的名声、過去の役職、RIR共同体での発言力は、その法定資格に代わらない。
  • ただし11月28日の命令は、アルマダが株主または債権者ではないとも、申立適格を欠くとも判断していない。処分の明示的理由は、申立てを認めれば5月16日の選挙手続を止める暫定命令に反するという一点だった。
  • この事件で主権的な法的権威を供給したのは最高裁判所とモーリシャス会社法であり、RIR共同体ではない。AFRINICは民間の会員制技術レジストリ、記録管理者、サービス提供者、調整主体であって、主権的・立法的・規制的・警察的・訴追的・懲罰的・没収的権力も、公法上の裁判権も一切持たない。

「無異議」の翌日に残っていた、もう一つの命令

事件の核心は、激しい法廷対立ではなく、むしろ表面上の対立の少なさにある。公開された一頁の命令書によれば、アルマダの申立書と宣誓供述書はいずれも2022年11月24日付だった。翌25日、相手方AFRINICは書簡で、求められた命令に異議がないと伝えた。通常の読者なら、当事者が争わないのなら裁判所もそのまま認められるのではないか、と感じるだろう。しかし11月28日、M・J・ラウ・ユク・プーン判事は申立てに応じなかった。

裁判所の前には、当事者の現在の姿勢だけでなく、すでに存在する司法判断があった。アルマダ自身の添付資料A4の第1項が、AFRINICに対して2022年5月16日に出された暫定命令を記録していた。事件番号は SC/COM/MOT/000334/2022。Larus Cloud Service Limitedの申立てに基づくものだった。11月の裁判所は、この先行命令がなお存続し、先行申立てが判断されるまで効力を保つものとして扱った。

5月16日の命令が対象にしたのは、AFRINICの2022年5月10日付メールで特定された取締役会選挙だった。引用された文言は、AFRINICだけでなく、その取締役会、取締役、代表者、代理人、使用人らが、その選挙をいかなる形でも先へ進めることを差し止めていた。予定されていた5月19日の電子投票、6月3日の年次総会、さらに延期された日程での手続も射程に入っていた。したがって、11月の申立てが形式上無争点であっても、その結果がこの禁止と衝突するなら、裁判所は一方の事件だけを切り離して処理できなかった。

命令書の論理は短い。アルマダの申立てを認めることは5月16日の暫定命令に反する行為になるため、裁判所は求めに応じることを妨げられている。ゆえに現在の申立てを「set aside」とする。ここには、アルマダの人格、動機、技術的力量、共同体内の支持についての判断はない。選挙の有効性についての最終判断もない。取締役選任の実体的妥当性を裁いた記述もない。あるのは、司法が自らの既存命令を矛盾させないという、狭いが重要な制度上の判断である。

「set aside」を勝敗の言葉へ作り替えない

法的な短文は、ときに政治的な長文より誤読されやすい。「set aside」という処分を、日本語で便宜的に「却下」と一語に置き換えるだけでは、この事件の境界が崩れる危険がある。少なくとも公開命令書から、それを本案棄却、取下げ、和解、恒久的禁止、申立人の不正認定、または相手方の全面勝訴と呼ぶことはできない。裁判所は、求められた命令の内容を全文掲げず、その実体的優劣を判断したとも述べていない。

より正確に読むなら、現在の申立ては、先行する暫定的な司法統制と両立しないため脇に置かれた。これは小さな語義の問題ではない。処分の種類を誤れば、申立適格について裁判所が何を決めたか、後日の申立てが理論上可能だったか、選挙や取締役構成について何が確定したかまで、存在しない結論を連鎖的に作ってしまう。公開資料は、そのような推論を支えない。

同じ注意は「無異議」にも必要だ。AFRINICの25日付書簡が何を認め、何を留保し、どの法的論点を扱ったのか、その本文は公開命令書に収録されていない。分かるのは、相手方が求められた命令に異議を述べなかったと裁判所が記録したことだけである。無異議は、株主・債権者資格の立証でも、取締役数の証明でも、通常の選任が不可能だという証明でもない。まして、先行命令を変更・解除する司法行為ではない。

当事者は自分たちの争い方を選べるが、効力中の命令を私的合意で消去することはできない。裁判所がここで守ったのは、どちらかの陣営の面子ではなく、同じ法人と選挙過程をめぐる二つの司法作用が逆方向へ走らないための最低限の整合性だった。無異議の申立てほど容易に見える場面で、その規律が可視化されたのである。

会社法136条は、誰にでも開く非常口ではない

アルマダの事件を理解するもう一つの軸が、モーリシャス会社法2001年の136条である。見出しは「Court may appoint directors」、すなわち裁判所が取締役を選任し得るという規定だ。これは、企業の統治機関が機能しなくなったときの救済経路を用意する。しかし、経営の空白が深刻だからといって、地域社会で著名な人物なら誰でも扉を開けられる制度ではない。

条文は複数の関門を順に置く。第一に、会社に取締役が一人もいないか、取締役会を開くために必要な定足数より少ない状態であること。第二に、会社の定款または140条3項によって取締役を選任することが不可能、あるいは実行可能でないこと。第三に、申立人が会社の株主または債権者であること。そのうえで裁判所は、選任が会社の利益になると考える場合に、一人以上の取締役を選任できる。選任には裁判所が適切と考える条件を付すこともできる。

ここで、申立てを提出できる資格、客観的な会社状態、通常経路が機能しないこと、裁判所の裁量、会社利益という判断基準は、それぞれ別の問いである。申立書が受理された事実は、すべての条件が立証されたことを意味しない。株主または債権者であることが示されても、取締役会が定足数を欠くことや、定款上の選任が不可能であることまで自動的に証明されるわけではない。逆に、深刻な統治空白が存在しても、その事実だけで誰にでも申立資格が生まれるわけではない。

この構造は、役割の混同を防ぐ。以前に取締役だった、取締役であると主張している、監査委員会に名を連ねた、技術政策の議論で長く活動した、地域の支持を得ている――そうした事情には別の場面で意味があり得る。しかし136条の入口で問われる「株主または債権者」を置き換えはしない。共同体での声望は法定資格ではなく、技術的専門性は会社法上の地位ではない。救済の必要性が高いことと、特定の人物がその救済を求められることは、切り分けて立証されなければならない。

条文が語る一般原則と、命令が示した実際の理由

ここで最も大切なのは、136条の制度設計を、11月28日の処分理由へ後付けしないことだ。条文からは、株主または債権者という限定された申立人類型が読み取れる。だが公開命令書は、アルマダがそのどちらでもなかったとは述べていない。資格を立証したとも述べていない。そもそも命令書は、彼の11月24日または28日時点の正確な役職上の地位を確定していない。

AFRINICの公式な2022年取締役会記録には、同年1月の決議 202201.669 によって再構成された監査委員会の一員としてSilvio Almadaの名がある。これは、その時点でAFRINICが記録した法人行為を示す限定的な証拠である。しかし1月の委員会記録は、11月の株主資格、債権者資格、取締役資格、あるいは申立適格を証明しない。過去の社内記録から後日の法的身分を推測することは、まさに会社法が求める証拠の代わりに物語を置く行為になる。

したがって、二つの命題を同時に保つ必要がある。第一に、136条の救済へアクセスするには、共同体内の地位ではなく、通常の法人法上の資格と法定条件が要る。第二に、この事件で裁判所がアルマダの申立てをset asideとした明示的理由は、資格欠如ではなく、5月16日の暫定命令との衝突だった。この二点は競合せず、むしろ互いを補う。条文は扉の形を示し、命令はその日に裁判所がなぜ扉を開かなかったかを示している。

公開資料が答えていない問い

一頁の命令書は、判断の骨格を明瞭にする一方、事件全体を再構成する材料ではない。求められた具体的な命令は転載されていない。11月24日付の申立書と宣誓供述書も、添付資料A4も、25日付のAFRINIC書簡も、5月16日の暫定命令全文も収録されていない。先行事件 SC/COM/MOT/000334/2022 が後にいつ、どのように最終判断されたかも、この資料の外にある。

だから、アルマダが誰を何人、どの条件で取締役に選任するよう求めたのかは断定できない。彼がどの株主・債権者証拠を提出したかも分からない。申立日時点の取締役数と定足数について、どの事実が証明されたのかも不明である。定款または140条3項による選任がなぜ不可能または実行困難だったのか、当事者がどう主張したかも、公開命令だけからは分からない。

不明点を空白のまま保つことは、分析の弱さではない。法的権限を論じる記事では、何が記録され、何が推論され、何が未確認かを区別すること自体が説明責任になる。空白を埋めるために、AFRINICをめぐる別の訴訟、選挙争い、取締役会の定足数問題、後年の出来事を持ち込めば、この申立人、この条文、この処分という固有の輪郭が消える。事件を大きなドラマの一場面として消費するより、限られた資料が許す狭い結論を守る方が、制度を正確に理解できる。