要約

  • 後年のアンゴラ側の発表は大学の正式・技術的な接続日を1996年8月28日としている。一方、同年11月の同時代報告は、ルアンダの現地問題により記載された経路が当時まったく通信できなかったと伝える。
  • EBONetは10月29日にAngola Telecom経由でインターネットを試験したと述べたが、12月時点でも営業開始の許可を求めていた。「接続」「稼働」「試験」「認可」は別の状態だった。

公共インターネット以前にもネットワークはあった

アンゴラでは、一本の回線が到着するまでコンピューター通信がなかったわけではない。1996年までに、国内の組織と国外のネットワークを結ぶ電子メールや情報サービスが運用されていた。ただし、それはそのまま対話型のインターネット接続を意味しない。

1996年2月26日、Angonetのシステム担当者はNetwork Startup Resource Center(NSRC)に、当時アンゴラで「完全なインターネット接続」を提供する組織はなかったと書いた。挙げられたのは二つの活動だった。Angonetは非政府組織向けのメール・情報ネットワークであり、RIDSANGはUniversidade Agostinho Netoが主導し、国連開発計画とスウェーデン国際開発協力庁(SIDA)の資金を受けたプロジェクトだった。電話回線の品質、国際通話の料金、電力の不安定さが障害として挙げられた。AngonetはFidoNetからUUCPへ移る計画だった。これはメールの運び方を変えるが、常時利用できるIP回線に変えるものではない。

予定された交換時刻にルアンダから送ったメッセージが、後で国際ゲートウェイを通り、インターネット上のメールボックスに届くことはある。送信者が直接ウェブを見たり、リアルタイムに通信したりできるとは限らない。Angonetのメール網は、まさにその制約のなかで機能した。アンゴラのネットワーク史から消すべきではない一方、後年になって完全なインターネット接続と呼び替えるべきでもない。

接続日は継続利用を保証しない

2008年の発表で、João Sebastião Tetaはアンゴラの正式かつ技術的なインターネット接続を1996年8月28日とした。支援元として挙げたのはポルトガルのInstituto Superior Técnicoと、同国の学術ネットワークRCCNを運営するFCCNである。発表の簡潔な年表では、Universidade Agostinho Netoが管理するUNINETを、8月に「フルインターネット」となったネットワークとして記している。

同時代の現地報告は、その日付を単純なサービス開始日として扱いにくくする。Armando Dominguesは1996年11月8日、8月下旬に19,200ビット/秒の回線でUniversidade Agostinho NetoをRCCNへ接続したとNSRCに報告した。その直後、ルアンダに現地の問題があり、報告時点では「接続性がまったくない」と記している。現地の電話事業者は11月末までに直す見込みだという。同じ報告には、細いイーサネット、Ciscoルーター、486型PC 5台、Linuxサーバー、自宅から接続するためのモデムも記載されている。

二つの記録は必ずしも矛盾しない。一方は正式または技術的に接続した日を記し、もう一方は後日の現地回線の障害を記している。どちらも継続的な稼働を証明しない。11月の報告対象はルアンダの大学回線であって、全国調査ではない。設置日と実際に使える経路は、別々の歴史上の事実だと示している。

EBONetのもう一つの時計

同じ時期、商用サービスも準備されていた。EBONetの12月5日の報告によれば、10月29日にインターネットを試験し、営業を始めるための許可をまだ取得しようとしていた。バックボーン事業者はAngola Telecomで、Global One経由の64 kbps回線を使うとしている。アクセスサーバーには市内のダイヤルアップ回線が6本あり、同社は少なくとも10本を申請していた。設置費や月額のメール料金は同社の提示価格であり、独立した市場調査ではない。

EBONetの創業者Silvio Cabral AlmadaとHaymée Pérez Cogleは、2006年の回想で、Angola Telecom経由の国際出力回線が10月29日に稼働を始めたと述べた。Pentium 100サーバー、33 kbpsモデム6台、専用64 kbps回線を挙げ、EBONetを国内初の商用インターネットサーバーと呼んでいる。参加者による貴重な記録だが、後年の回顧である。12月の報告が示す「試験」と「許可待ち」の区別も、同じ史料の一部として残る。

したがって時系列には少なくとも三つの時計がある。大学の接続日は後年8月とされた。11月の報告はその経路の停止を記録した。EBONetは10月の国際回線試験を報告する一方、12月にも許可を求めていた。2006年の回想は商用サーバーが稼働したとする。同時代の検収記録や許可証が見つかっていない以上、動詞を一つだけ選び、残りを捨てても差は解消しない。

「最初」は何を意味しうるか

1996年8月28日は、Tetaが後年記したアンゴラの正式・技術的接続の日として引用できる。10月29日は、EBONetが報告した試験日であり、創業者が後に国際回線の稼働日と述べた日でもある。11月の障害と12月に残る許可申請は、それらが証明する範囲を狭める。いずれも全国サービス、途切れない利用、利用者数を裏付けない。

モデム回線が6本あったからといって、何人が接続したかは分からない。同時代報告が述べるのはEBONetの設置数と希望数で、セッション記録ではない。64 kbpsの国際出力は容量を示すが、測定された実効速度やサービス品質を示さない。Angonet担当者が語る電力、回線、料金の問題も一人の運用者の評価で、全組織を代表する調査ではない。

役に立つ歴史は、ひとつの決定的な「到着日」ではない。その言葉の陰にある手順を示すことだ。大学の国際回線、それを現地へ運ぶ電話網、発生した障害、商用事業者の試験、そして事業者が必要だとした許可。技術的に届くこと、現地で運用できること、サービスを販売する権限は、別の機関に分かれているかもしれない。接続日だけでは、経路全体が保たれていたとは分からない。

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