要約

  • NECTECの1994年の文章は、1月1日から個人会員を受け入れ、月額約500バーツを求めたと記す。国際専用線を所管するCATは通常、国際帯域の共有を認めず、特別条件には再販禁止が含まれていた。
  • 同じ文章によると、利用者の支払いは機器とシステムの維持費に充てられ、年100万バーツを超える国際回線費はNECTECが負担した。後年の歴史記述は、資格対象をより限定し、複数のサービス料金を示している。全世帯に開かれた無条件の接続だったとは言えない。

会費で回線を買ったわけではない

「一般向けアクセス」と聞くと、利用者が料金を払い、事業者が接続を販売し、売上でネットワーク費用を賄うサービスを思い浮かべやすい。しかし、ThaiSarnの初期の個人サービスはその型に当てはまらない。国立電子・コンピューター技術センター(NECTEC)が公開した1994年の文章で、Kamol Hengkietisakは、NECTECが同年1月1日から一般の人々にインターネット会員資格を認め、月額約500バーツを設定したと書いた。続く説明は、その料金がなぜ国際帯域の販売価格とは言えないのかを示している。

国際専用線へのアクセスを所管したのはタイ通信公社(CAT)だった。文章によると、CATは通常、国際回線容量の共有を認めず、NECTECに適用された特別条件には帯域の販売禁止が含まれていた。公開されている文章にはCATの許可文書や法的根拠の全体は収録されていない。記述が示す実務上の制限は明確だ。NECTECは会員を受け入れられても、国際回線の一定容量を切り分けて利用者に販売することはできなかった。

Hengkietisakは、利用者の支払いは機器とシステムの維持費に充てられ、年間100万バーツ超の専用線費用はNECTECが全額負担したとする。彼はこれを公共利用者への補助と位置づけ、資格を認められた人は税金を納めており、接続は生産性と所得を高めるとして公的投資を正当化した。これは記事の政策上の主張であり、監査済みの会計記録ではない。それでも、説明された仕組みで誰が費用を負担したかは分かる。国際容量の利用量に応じて各会員が回線費を分担したのではなく、組織と公的予算が請求を引き受けた。

「一般向け」には資格条件があった

同じ文章は、すべての家庭が自由に申し込めたとは説明していない。後段では利用者を「資格を満たした個人」と呼ぶ。また、別の接続経路として紹介されるAssumption Universityでは、営利目的ではないこと、教育または研究に個人として従事していることが申請条件とされた。これはNECTECのサービスとは別だが、当時「一般向け」という表現と、機関による審査が両立していたことを示す。

後年の記述は対象をさらに具体化する。Network Startup Resource Centerのタイ・インターネット史は、1994年刊の『ThaiSarn: The Internet of Thailand』を引き、morakot.nectec.or.thというサーバーが1994年初めに開設され、自前のノードを設置できない政府機関や非営利団体の職員に利用されたとする。同報告はThaiSarn Internet Serviceを政府、教育・研究機関、NGO向けに限定されたサービスとして説明し、段階別料金も掲載する。テキスト中心の電子メールとUsenetは月12ドル、フルインターネットは20ドル、NGO向けUUCP接続は160ドルで、記憶容量や利用時間の追加料金もあった。

これらの金額をNECTECの文章にある「月約500バーツ」と一つの料金表にまとめることはできない。前者は個人会員を広く述べ、後者は複数サービスとより狭い機関対象を記す。サービス内容、資格、加入費用、対象者がどう異なっていたのか、公開資料は説明していない。慎重に言えるのは、商用ISPの市場がライセンスを得て動き出す前に、ThaiSarnが一部の個人へインターネットサービスを使う経路を用意していたということだ。タイの誰もが制限なく家庭から接続できたことの証拠ではない。

CATとTOTが別々のボトルネックを握る

アクセスは複数の設備と決定に依存した。CATは国際専用線を所管し、タイ電話公社(TOT)は国内電話回線を設置した。NECTECの1994年の文章によると、同センターのネットワーク技術ラボは個人アクセス用に最初およそ10本のダイヤルアップ回線を用意し、TOTの増設を待っていた。翌月には最大40本まで増える見込みだった。利用者が入るための国内回線はあっても、国際線の費用は機関に残る。40本が予定日に実際に開通したのか、申込者が何人いたのか、各利用者がどの程度の速度を得たのかは分からない。

この区別は重要だ。電話の発信音、アカウント、大学ネットワークへの所属、国際経路の存在はそれぞれ別の条件である。NECTECはサーバーを運用して会員を受け入れられる一方、利用者には空いている国内電話回線が必要だった。国外との通信は、商業条件をCATが管理する専用線を通った。こうした境界を示さずに「公共インターネット」とだけ呼ぶと、接続を成り立たせた費用と許可が見えなくなる。

ネットワークは一つのキャンパスの実験を越えていた。NECTECの年表は、1994年9月までにThaiSarnが27機関、34拠点へ広がったとする。1999年の『NEC Technical Journal』に載った回顧は、同ネットワークが以前の学術系システムを統合し、MHSNet、UUCP、X.25から、専用線上のTCP/IPへ段階的に移行したと述べる。これは背景を説明するが、すべての会員が同じサービスや権利を持っていた証拠ではない。個人サービスは、利用規則と別個の運用費を持つ教育・研究ネットワークの上に追加された。

商用ライセンスに先行した橋渡し

組織の年表を追うと、1994年の位置づけが分かる。NECTECの記録によれば、CATとTOTは1994年12月にインターネットの商用化を目的とした合弁案を承認した。Internet Thailand Service Centerは1995年2月にCATから営業ライセンスを得て、3月1日に本格サービスを開始した。したがってThaiSarnの会員サービスは、ライセンスを得たこの商用サービスより前のものだった。NECTECが運営する条件付きのアクセス経路であり、タイの市場が既に普通の小売ISP市場になっていた証明ではない。

この日付から、あるモデルが翌日に別のモデルへ切り替わったとは言えない。Internet Thailandのライセンス取得により、CATの再販条件が消えたとも記録されていない。確認できるのは制度形態の変化だ。公的研究機関が特別条件の下で個人会員を受け入れ、その後、合弁会社が商用ライセンスを申請して取得した。両段階を結ぶ契約条項は、今回確認した公開資料にはない。

この事例は、初期インターネットアクセスの経済面を可視化する。少額の会費は入口を作れても、その先の国際回線費を賄うとは限らない。公共機関は研究、教育、生産性のために費用を引き受け、電気通信当局は容量の販売方法を制限した。その結果、一部の人の接続手段は増えた一方で、資格、本数の限られた電話回線、国際回線の資金は別々の管理下に置かれた。会員数、利用ログ、監査済み会計がないため、アクセスがどこまで広がったか、利用者一人あたりどれだけ補助されたかは測れない。

出典と限界

公開資料にはCATの特別条件書、請求書、全料金表、加入資格、会員数、利用者別通信量、稼働率、監査済み補助額が含まれていない。約500バーツという記述とドル建ての段階料金は別の主張であり、両者の関係は明らかでない。