要約
- FUNETは1992年に基幹網へFrame Relayを導入した。1994年の北欧ネットワーク資料は、TCP/IPとDECnetを併用するネットワークとして記録している。
- これは複数プロトコルを運ぶネットワークの稼働記録であり、全国規模の一般向けインターネットサービスや、旧プロトコルの全面置換を証明するものではない。
基幹網には複数の来歴があった
インターネット誕生を単純化した物語は、しばしばプロトコルの交代で幕を閉じる。新しい方式が到来し、旧方式が消え、ネットワーク全体が一斉に変わる。FUNETの記録はもっと複雑だ。Finnish University and Research Networkは、国際IP接続が最もよく知られる特徴になる前から、大学と研究機関を結んでいた。FUNETの歴史概要は、教育省が支援するプロジェクトとX.25を使ったネットワークの始動を1984年に置く。固定回線でTCP/IPルーターが使われたのは1987年、NORDUnetを経由した56 kbit/sのインターネット接続は1988年と記録されている。これは発展中の一つのサービスを構成する別々の層、すなわち国内研究網、そこで使われたプロトコル、そして国外への経路だった。
Finnish Internet Associationの年表は、その間の作業を補う。1985年、FUNETはTelecom FinlandのDatapak X.25サービスを4.8 kbit/sで試験した。当時ほとんどの大学はDigital Equipment Corporation製コンピューターを使っており、回顧史によるとネットワークのプロトコルにはDECnetが選ばれた。研究者には端末接続、ファイル転送、電子メールが提供され、ゲートウェイから他のメール網へも送信できた。1987年にはEthernetブリッジと64 kbit/sの専用線で各構内網を結び始めた。同じ回顧史は、通信量に応じたDatapakの課金が専用線より割高だったと述べる。すべての大学で同じ料金だったことや、料金だけで設計が決まったことを証明するわけではない。それでも、研究網の下にある通信サービスの料金体系と提供形態が、設計上の判断に関わっていたことは分かる。
移行は、X.25を捨ててIPへ移るだけの過程ではなかった。構内Ethernet、専用線、DECnet、TCP/IP、国際ゲートウェイは、それぞれ異なる役割を担った。1985年、1987年、1992年のFUNET年表は順序を追う助けになるが、後年にまとめられた機関の歴史であり、パケットログではない。すべての大学が同じ時期に移行したことも、各システムが同じトラフィックを運んだことも示していない。
Frame Relayは共有できる基盤を加えた
1992年、FUNETは基幹網にFrame Relayを導入した。Finnish Internet Associationの年表は速度を64 kbit/sから2 Mbit/sとしている。日付だけでなく、出典の性格にも注意がいる。これは後年の回顧で、開通時の作業記録ではない。Juha Heinänenの1992年の論文は、Frame RelayをTDM多重化装置、マルチプロトコルルーター、X.25交換機に続くデータリンク層の選択肢として説明する。論文の焦点は、複数のプロトコルと利用者が共用する基幹網である。Telecom Finlandの公衆サービスにも触れているが、要旨だけではFUNETの回線を特定できず、FUNETでの費用削減を立証するものでもない。
標準文書は仕組みをより正確に示す。1992年1月公開のRFC 1294は、Frame Relay上で複数プロトコルを相互接続する方法を定めた。網は仮想回線とフレーム単位のサービスを提供し、IPは運ばれるプロトコルの一つにすぎない。この仕組みは、インターネットの基幹網がIPを運びながら、それ以前の大学環境で必要だった経路も維持できた理由を考える手掛かりになる。ただし、Frame Relay自体がプロトコル変換をしたり、異なるホスト同士を自動的に相互運用させたりしたわけではない。端末、ルーター、回線設定、運用管理が必要だった。
1994年の北欧ネットワーク資料は、時期を限った後年の断面を伝える。FUNETをフィンランドの大学・研究機関を結ぶ網とし、幹線容量を2 Mbit/s、最も遅い接続を256 kbit/sと記載する。伝送技術はFrame Relay、使用プロトコルにはTCP/IPとDECnetを挙げ、接続コンピューターを約15,000台と推定する。国際接続はNORDUNET経由だったとも述べる。これらは1994年の出版物に載った数値であり、利用者の国勢調査でも、通信量の測定でも、すべての端末が両方のプロトコルを使った証拠でもない。より確かな点は、NORDUnet経由の56 kbit/s接続から約6年後にも、国内研究網が複数プロトコルのネットワークとして記述されていたことだ。
FUNETは国際回線だけではなかった。University of Ouluの構内網史は、構内LANが拡張しFUNETがブリッジをルーターに切り替えていた1987・88年にも、接続速度は64 kbit/sだったと振り返る。その後は構内接続が高速化したという。これはオウルの事例であり、国内基幹網全体の速度ではない。大学の構内網、フィンランドの研究基幹網、Frame Relayサービス、NORDUNETの国際経路は接続していたが、同じ意味の一本の回線ではない。
FUNETの1992年技術日のアーカイブには、ネットワーク計画に関する発表が残る。「ATM – Faster」は、次世代の基幹技術への関心を示すが、ATMがすでに本番網だった証拠ではない。FUNETの情報サービスに関する別の資料は、中央集約したアーカイブと共有サービスによって、回線容量を含む他の資源を節約できると説明している。容量、アプリケーション、ネットワーク技術が一緒に検討されていたことは分かるが、後の成長をFrame Relayだけの成果とはできない。1993年と1994年のFUNET年表では、ATMへの移行と商用競争は後の段階に位置付けられている。
記録が示す範囲
資料から確認できるのは、以前からあるデータサービスを土台にした大学ネットワーク、異なる選択肢としてのDECnetとIP、1992年の基幹網へのFrame Relay導入、そしてTCP/IPとDECnetを併用する大学・研究機関網を記した1994年の記録である。仮想回線の正確な地図、プロトコル別トラフィックの割合、設備利用率、価格、サービス水準、全国一律の移行計画は確認できない。1988年の国際接続と1994年の基幹容量が同じ回線だったとも言えない。
この限界が、かえって歴史を読みやすくする。各機関が稼働中のネットワークを捨ててからでなければIPを通せない、という条件はなかった。共有設備は複数のプロトコルを運び、運用者は回線、ルーター、サービスを段階的に変えられた。記録が残していない一斉切り替えが成果なのではない。国際接続と内部構成が変わるあいだ、研究網として使われ続けたことが、この歴史の要点だ。
出典と編集上の位置付け
- Suomen Internet-yhdistys, “History of the Finnish Internet”
- FUNET, history overview
- FUNET chronology: 1985, 1987, 1992, 1993, 1994
- Juha Heinänen, “Frame relay as a multiprotocol backbone interface” (1992)
- RFC 1294, Multiprotocol Interconnect over Frame Relay
- Nordic Council of Ministers, “Information Networking in the Nordic Countries” (1994)
- University of Oulu, campus-network milestones
- FUNET Technical Day 1992, “ATM – Faster” and “Information Services in the FUNET Network”
Lu HengのNote 64「Minimum Initial Specification」は、共有基盤と各地の実装選択を問う編集上の補助線としてのみ参照した。フィンランドのネットワーク史の根拠にはしていない。
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