要約

  • Stephen Wolffは、企業がネットワークを利用する「商用化」と、連邦政府が提供・補助を終える「民営化」を別の政策判断として整理した。
  • NSFNETのAcceptable Use Policyは公費の目的を区切ったが、市場を単独で生んだわけではない。地域網への初期支援、民間運用、共通の相互接続点、そして1995年の撤退がそろって初めて移行が成立した。

初期のインターネットでは、通信の中身よりも、その目的を判定するほうが難しかった。大学と企業研究所が成果を公開する共同研究なら、NSFNETの使命にかなう。一方、同じ企業が一般の商取引に同じバックボーンを使えば、公費でまかなわれた希少な容量が私的利益を支えることになる。パケットの形式は同じでも、政策上の意味は違った。

1992年のAcceptable Use Policyは、この違いを利用目的として記した。NSFNET Backboneは、米国の研究・教育機関による公開研究、教育、共同作業を支援する。営利企業の研究部門も、開かれた学術交流に参加する限り利用できた。しかし、それ以外の営利活動や個人的な用務は認められなかった。規定の対象はバックボーンであり、接続する各ネットワークには独自の利用方針を定める責任が残った。

この境界が大きな意味を持ち始めた時期に、National Science Foundationのネットワーク部門を率いていたのがStephen Wolffである。NSFNETはスーパーコンピューターセンター、大学、地域ネットワーク、連邦機関、海外の研究網をつなぐ基盤へ成長した。Wolffはその発展に責任を負う中心人物だったが、一人で作ったわけではない。NSFが使命と初期資金を担い、Meritがサービスを調整し、IBMとMCIが技術と通信能力を提供した。地域網は大学を束ねて追加資金を確保し、物理回線や日常運用には民間企業が深く関わっていた。

RFC 1192がまとめた1990年の会合には、境界をめぐる切迫感が表れている。トラフィックは月15〜20%の割合で増え、商用サービスからの接続要求も続いた。無条件に受け入れれば研究用容量が圧迫される。しかも、公費で支えられたサービスが、料金を取る民間パケット網と競争することになる。技術的な開放性と競争上の公平は、同じ答えを要求しなかった。

Wolffはそこで、商用化と民営化を明確に分けた。商用化とは、商用の利用者や事業者がInternetの施設・サービスに参加できるようにすること。民営化とは、ネットワークサービスの提供や補助における連邦政府の役割をなくすことだった。企業参加を増やしながら公的責任を保つことは可能であり、補助先をバックボーン事業者から大学や研究者へ移し、複数の民間サービスを購入させる構想も成り立つ。

この整理に立つと、AUPは単なる禁止事項ではなく、公的補助の外縁を示す制度になる。研究・教育と無関係な需要には別の有料経路が必要になる。ただし、規定だけで供給は生まれない。回線はすでに民間が所有し、地域網は会費や接続料、州の支援、現物協力を組み合わせていた。運用を外部委託しつつ、方針と計画は自ら保持する例も多かった。公と民は交代したのではなく、当初から重なっていた。

移行には地域格差という難問もあった。無料の全国バックボーンが民間投資を妨げるという懸念がある一方、商用事業者は研究機関が密集する採算地域だけを選びかねない。広大で費用の高い範囲は、非営利の地域網に残される。財務基盤の弱い地域で補助を先に切れば、競争が始まるのではなく、接続そのものが失われる可能性があった。

利用目的を技術だけで取り締まることもできなかった。連邦ネットワークの相互接続方針はNSFNETを通る通信に規定順守を求め、経路の利用資格に方針を反映させる考え方もあった。しかしRFC 5773は後年、法的枠組みを支える技術がほとんど存在しなかったと振り返っている。パケットから商用目的を確実に読み取れない以上、契約、組織間の信頼、経路関係、担当者の判断が実際の境界を作った。

だからこそ、透明な手続きが不可欠だった。1993年のNSF監察総監報告は、研究サービスを損なわず、利益をネットワーク基盤へ戻すなどの条件があれば、共用設備の商用利用は認め得るとした。一方で、NSFが判断を十分に公表せず、意思決定記録も不完全だったと批判した。AUPへの公開意見募集と、全利用者に適用する法的根拠の明確化を求めたのである。競争条件を左右する例外が密室で決まれば、境界は優遇策に変わる。

1993年のNSF 93-52は、撤退に必要な別の仕組みを用意した。複数事業者がトラフィックを交換するNetwork Access Points、経路方針を支えるRouting Arbiter、地域網がサービスを購入するための移行支援、高度研究向けのvBNSである。商用バックボーンを競わせながら、全体の到達性を保つ設計だった。商用サービスの拡大を受け、NSFは1995年に専用バックボーンを停止した。

この経緯を「WolffがInternetを民営化した」と要約するのは正確ではない。UUNET、PSINet、CERFnet、ANSはそれぞれ商用化を進め、立法、調達、地域社会、技術者の判断が結果を作った。Wolffの貢献は、単独の創業者になることではなく、参加、補助、相互接続、撤退を別々の論点として扱える言葉と運営の枠組みを示したことにある。

現在の公共クラウドや計算基盤にも同じ論点がある。民間供給を育てるなら、公費が支える対象、商用利用の開始点、同等な接続条件、退出時の移行性を同時に定めなければならない。守れない規定は裁量に流れ、説明のない運用は有力者への優遇になる。採算の低い地域や利用者を保護せずに撤退すれば、市場化は公共目的の放棄に終わる。

NSFNETが残したのは、国有から民有へ一直線に進む物語ではない。公的投資が利用者と能力を育て、利用規定が使命と新しい需要を分け、相互接続が競争事業者を一つのInternetとして保ち、その後に公的バックボーンが役割を終える。この順番を見失わないことが、Wolffの区別を歴史以上の知恵にしている。

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