要約

  • NLnetは1993年7月1日、加入者にNLUUG会員資格を求める条件を撤廃した。1994年1月から会員には10%の割引を適用したが、InterEUnetの初期費用は対象外だった。
  • この変更は利用拡大や運用増強と同じ時期に起きたが、年次報告書は因果関係も理事会の動機も示していない。

団体加入は接続の資格ではなくなった

NLnetの1993年年次報告書には、具体的な条件変更が記されている。7月1日から、加入者はオランダUnixユーザーグループ(NLUUG)の会員である必要がなくなった。1994年1月以降、関係は別の形で続く。NLUUGの有効な会員資格を持つ加入者には、NLnetの公表料金から10%を割り引く。ただしInterEUnetの初期費用は対象外だった。団体への所属は、契約資格の必須条件から料金上の特典へ移った。

この変更の意味は限定して捉える必要がある。インターネットが無料になったわけでも、電話料金が消えたわけでも、オランダの誰もが加入できたと示すものでもない。NLnetの加入条件についての記録だ。報告書は理事会が条件を変えた理由、以前の条件をどう確認していたか、変更によって何人が加入したかを説明していない。その空白を残すことで、特定サービスの規則を普遍的な開放の物語に変えずに済む。

サービスの成長は当初の運用形態を超えた

報告書は、この変更を急拡大の時期に位置付ける。NLnetの接続サイト数は1993年1月1日の284から、1年後には410へと44%増えた。ニュース購読は112から149へ、InterEUnet購読は14から27へ増加した。1994年初頭には、ダイヤルアップ版InterEUnetの加入が17件、個人ログインが101件と報告された。これは日付のあるサービス別の数であって、重複のない利用者数ではない。1サイトを複数人が使うこともあり、各カテゴリーが重複するかどうかも記録されていない。

運用体制も変わった。1992年の報告によれば、ネットワーク管理者は1993年1月1日からNLnetの専任となり、それ以前のパートタイム体制を離れた。1993年末には専任職員が3人いた。バックボーンは中央システム1台から、フェイルオーバー機能を備えたSPARCシステム7台に移行した。運営側はこれを需要への対応として説明しているが、どの報告書も会員要件の変更が人員や設備の増強を引き起こしたとは述べていない。

料金体系を見ても、「開放」を障壁の消失と解釈することはできない。NLnetは月額料金、メールの通信量に応じた料金、接続時間料金を設定していた。InterEUnetは別のIPサービスで、月間通信量の区分があり、接続方式によっては一時金も必要だった。1993年には個人ログインとダイヤルアップ版InterEUnetが提供された。より小さな単位で契約できるようになったが、料金は発生し、利用量も計測された。家庭の電話料金を含む総額は記録されていない。

1994年の組織再編はその後の段階

NLnetはNLUUGが立ち上げたオランダ国内のネットワーク運営として始まり、1989年にStichting NLnetへ移管された。1994年の報告書は次の組織変更を記録する。持株会社とサービス会社が設立され、その一社は個人や小規模企業へのネットワークサービス提供を目的としていた。報告書は、技術に詳しくない新しい顧客層と、それに対応する人員・組織の必要性にも触れている。NLnet理事会メンバーは1998年の回顧で、商業運営に適した法的構造が必要だったと説明し、1997年のUUNETとの株式交換を振り返った。

これらを1993年7月の加入規則と混同してはならない。年次報告書が示すのは、加入者にNLUUG会員資格を求めなくなり、割引と協力関係は残り、その後に需要と運用規模の拡大を受けて商業サービスが再編されたという順序だ。NLUUGが物語から消えたわけではない。会員は価格上の特典を保ち、両組織の協力も続いた。

この変更は、オランダでの公共インターネット誕生でも、コミュニティネットワークの終わりでもない。会員条件を緩めながら、団体との任意の関係を残した一つのサービスの記録だ。同時代の資料から変更日とサービス規模の変化は追えるが、新規加入者にとっての重要性や、運営側が拡大の原因・結果のどちらと見ていたかはわからない。

参考資料