要約

  • MILNETのサービスは1983年4月4日に正式に始まり、ARPANETとの論理分離は同年10月4日に完了した。物理分割の完了日は1984年9月6日である。
  • 運用ユーザーの境界を分けた後も、限定的な通信のために管理されたゲートウェイが維持された。記録が裏付けるのは段階と日付であり、侵入、障害、運用コストが減ったかどうかではない。

「分離」には複数の節目がある

1983年10月4日、米国防総省がARPANETを軍事ネットワークと研究ネットワークに分けた、と各紙は報じた。その日付自体は正しいが、回線がすべてその日に移されたわけではない。同日のUPI記事は、この変更を「論理的」な分離と呼び、物理的な分割は1984年に予定されていると記した。後年の国防データネットワーク審査資料を重ねると、MILNETのサービス開始は1983年4月4日、ソフトウェアによる分離の完了は10月4日、物理分割の完了は1984年9月6日となる。

この順序を一本の「分割日」にまとめると、運用上の作業が見えなくなる。MILNETという語は、サービス名、ホストや利用者の所属ルール、ゲートウェイと端末接続の制御、そして独立した物理ネットワークのいずれを指すこともある。それらは同時に成立したのではない。重要なのは「いつ分割したか」だけでなく、「その日に、どの境界が実際に有効だったか」だ。

計画の背景には、1982年にAUTODIN IIを中止し、ARPANETを基礎にした設計へ移る判断があった。米国学術研究会議の1985年報告は、その理由としてセキュリティ、構成、生存性、費用を挙げる。報告はMILNETを国防総省の非機密運用データ用とし、ARPANETは研究機関を支援し続けたと説明する。ARPANETの容量の大半はMILNETに割り当てられた。これは既設ネットワークの運用目的を組み替えた話であり、インターネットが「民間」と「機密」に二分されたという意味ではない。

サービスからソフトウェア境界へ

最初の節目はサービスである。国防データネットワークの審査資料によれば、MILNETは1983年4月4日に正式にサービスを開始した。これで運用ネットワークとしての位置づけは明確になったが、同日に全利用者や全インターフェースが切り替わったと資料が示すわけではない。

次の節目は論理分離だ。1983年11月のRFC 881はドメイン名導入の計画表で、10月4日に「ARPANET/MILNET Logical Split」を記載する。これは工程表であって、詳細な完了報告ではない。同じ表はMILNETゲートウェイとTAC利用者のアクセス制御を1984年2月15日「頃」と置き、その日付を概算と明記している。物理分割が終わる前に、ソフトウェア上で利用者集団を区別する段取りがあったことが分かる。

10月4日のワシントン・ポストは、機密情報へのアクセスと研究実験による障害への懸念を国防総省の理由として報じた。また、当局幹部が侵入の発生を否定したとも伝えている。したがって確認できるのは説明された安全上の動機と、その時点での否定であり、侵害が過去にあったという事実ではない。同紙とUPIはメール経由の橋渡しにも触れた。後年の審査資料によれば、論理分離後もARPANETとMILNETの交換用に7つのインターネット・ゲートウェイが設置され、維持された。物理分割も、すべての通信を断つこととは同義ではなかった。

境界は識別子と機器にも及ぶ

RFC 952はARPANETにネットワーク番号10、MILNETに26を割り当てた。これはホスト表で異なるネットワークとして扱われた証拠だが、物理的隔離や完全な遮断を単独で証明するものではない。

さらにRFC 3109の回顧によると、国防総省はMILNETのパケット交換機にバイト指向のX.25インターフェースを求め、研究用ARPANETのホストはインターネット・プロトコルの下で従来の1822ホスト・IMPインターフェースを使い続けた。論理ルールと機器構成は別の層である。後者の記録は、物理段階が単なる名称変更ではなかったことを示す。

この時期、MILNET自体も拡大中だった。RFC 942は1983年後半に加入者が15増えたと記し、今後の成長は幹線と暗号装置の供給にも左右されると述べる。通信量や個々の加入者、利用率は示さず、分割が成長を生んだとも論じていない。確認できるのは、MILNETが静的な別名ではなく、拡大する運用サービスだったことだ。

記録が1983年と1984年に分かれる理由

後年の短いネットワーク史には、ARPANETとMILNETが1984年に分割されたとする記述がある。1992年のRFC 1302も大きくその年にまとめる。一方、1986年のRFC 980は、1983年初頭のNCPからTCPへの移行と、その後のDDN設立および二つのネットワークの分離を区別している。粒度の違う記述は、細かな年表と矛盾しない。1983年はサービスと論理分離、1984年は物理分割や二網体制の完成を指し得る。

これは1983年1月のTCP/IP切り替え日と同じ出来事でもない。プロトコル移行はホスト間の通信方法を変えた。MILNET計画は利用者、接続境界、ネットワーク設備の運用を分けた。TCP/IPを採用しても独立した物理網が自動的にできるわけではなく、論理分離後に管理ゲートウェイが残ることもあり得る。

資料からは全トポロジー、ゲートウェイ方針、アクセス監査、インシデントの時系列を復元できない。そのため、侵入を防いだ、障害をなくした、可用性を高めた、費用を削減したとは結論できない。確実に言えるのは、サービス、論理境界、アクセス制御、物理分割が別々の節目を持ち、最後まで限定接続が残ったことだ。

参照資料