要約

  • モーリシャス最高裁判所の命令書は、まず SC/COM/MOT/000500/2022(申立人Eddy Mabano Kayihura、相手方AFRINIC)を掲げ、続いて SC/COM/WRT/000509/2022(申立人Crystal Web (Pty) Ltd、相手方AFRINICおよびEddy Mabano Kayihura)を記載している。
  • AFRINICの現在の訴訟一覧によれば、事件509は、Crystal Webが事件500への参加許可を得るまで事件500を止めるよう求めた申立てであり、現在は完了、Application set-aside / See Orderと表示されている。
  • M.J. Lau Yuk Poon判事は、事件が2022年10月21日から電子申立てシステム上で動かず、当事者らから申立てや要請がなく、2023年2月7日付の回状にもかかわらず何も提出されなかったとして、2023年4月6日にこの申立てを set aside とした。
  • これは本案棄却、取下げ、和解、勝訴、制裁、違法行為の認定ではない。終わったのは申立てであり、参加、停止、背後の会社法上の手続、AFRINICの統治をめぐる本案には、会員が将来依拠できる判断規範が生まれなかった。
  • 裁判所が与えたのは事件509についての手続的な終局性である。空白を埋める司法判断がない以上、未検証の主張を法として扱うことも、AFRINIC自身の説明を公的権威の代用品にすることもできない。

一ページの命令が区切ったもの

命令書の冒頭には、二つの事件番号が順番を伴って現れる。先にあるのは SC/COM/MOT/000500/2022、Eddy Mabano Kayihuraを申立人、African Network Information Centre(AFRINIC)Ltdを相手方とする事件である。その次に SC/COM/WRT/000509/2022 が置かれ、Crystal Web (Pty) Ltdが申立人、AFRINICとEddy Mabano Kayihuraが相手方として記される。この順序は単なる書式ではない。事件509が単独で漂う争いではなく、先行する事件500との関係を理由に存在したことを示すための、最小限だが重要な道標である。

AFRINICが現在公開している訴訟一覧は、その関係をもう一歩だけ説明する。そこでは事件509を、Crystal Webが事件500への参加許可を得るまで事件500を停止するよう求めた申立てとしている。そして状態を完了、備考を申立てが set aside されたものとして掲げている。この説明から読み取れるのは、求められた救済の概略と現在の表示状態までだ。Crystal Webがどのような法的議論を展開したのか、参加がなぜ必要だと考えたのか、他の当事者がどう答えたのか、裁判所がそれらをどう評価したのかまでは分からない。

公開された一ページの命令は、もっと狭く、しかしより強い事実を確定する。現在の事件が2022年10月21日以来、電子申立てシステム上で休止状態にあったこと。当事者らから申立てまたは要請が届かなかったこと。2023年2月7日付の回状があったにもかかわらず、その状態が変わらなかったこと。そしてM.J. Lau Yuk Poon判事が2023年4月6日、この申立てを set aside としたことである。理由として書かれているのは、裁判所の遅滞ではなく、当事者らの不動である。

この違いは、読み手の感情を整えるためにも欠かせない。長い訴訟を目にすると、人は裁判所の混雑、制度疲労、審理の遅さを連想しがちだ。しかし、この命令からその物語を作ることはできない。命令は、事件が裁判官の判断待ちで積み残されていたとは述べていない。記録されているのは、当事者らから次の手続行為が出なかったという状況だ。時計を止めた主体を推測で書き換えれば、一ページの資料が持つ数少ない確実性まで失われる。

「当事者ら」という一語の重み

命令は不活動をCrystal Webだけに割り当てず、AFRINICだけにも、Eddy Mabano Kayihuraだけにも割り当てていない。用いられているのは集合としての「当事者ら」である。誰が何を提出する責任を負っていたのか、回状が誰にどのように送達されたのか、内部でどのような判断があったのかは、公開された限定的な記録では確定できない。したがって、一方の怠慢、戦略的放置、暗黙の譲歩といった動機を記事が補う余地はない。

これは文章上の慎重さにとどまらない。ガバナンス紛争では、手続の沈黙がすぐに道徳的な物語へ変換される。申立人が諦めた、相手方が勝った、裁判所が主張を退けた、争いには価値がなかった――どれも、今回の命令が述べていない意味である。沈黙に勝敗を与えれば、司法が作らなかった結論を観察者が勝手に作ることになる。

反対に、何も言えない範囲を明示することは、出来事の意味を小さくする行為ではない。むしろ、手続的な終局性と実体的な判断を分けるための土台になる。事件509は手続上、現在の一覧で完了している。だが完了の表示から、参加の可否、停止の適否、事件500の本案、AFRINICの行為の適法性について結論を引き出すことはできない。この二つを同時に認識するのが、正確な制度分析の出発点である。

まず認めるべき、事件整理の正当性

最も善意に解すれば、今回の措置は裁判所の基本的な事件管理である。裁判所は、当事者が進めない申立てを電子システム上に無期限で残す義務を負わない。救済を求める者を含む当事者は、必要な申立てや要請を行い、自らの事件を動かす責任を負う。通知の機会があっても行為がなければ、休眠事件を整理し、司法の注意と記録を現実の活動に合わせることには合理性がある。

しかも、未成熟な記録について裁判所が無理に本案判断を作らなかった点は重要だ。当事者の主張、宣誓供述、証拠、応答が十分に提示されていない可能性がある場面で、裁判所が将来を縛る規範を推測で書くべきではない。中立的な不活動処理は、存在しない対審構造から実体判断を製造しないための節度ともいえる。裁判所の役割は、どんな沈黙からでも統治論を生産することではない。

この善意の説明は、制度批判の前提であって、免罪符ではない。裁判所が事件を整理することが正当でも、争点が解明されないまま終わることで別の損失が生じる。二つは矛盾しない。事件簿に終止符を打つ必要と、会員が判断規範を得られない不利益は、同じ命令の異なる側面である。裁判所を責めずに、知識の空白を問題にすることができる。

set aside に余計な意味を足さない

命令の処分は set aside である。本稿もこの語をそのまま扱う。これを本案棄却と呼べば、裁判所が主張の強弱を判断したかのように響く。取下げと呼べば、申立人の明示的な意思表示を想定する。和解と呼べば、当事者間の合意を想定する。勝訴、敗訴、制裁、懲罰、権利放棄、違法行為の認定という語も、それぞれ命令に存在しない法的または事実的な要素を持ち込む。

一ページの命令が示すのは、休止、当事者らからの申立てまたは要請の不在、回状、それに続く set aside という連鎖だけである。費用についての命令も記されていない。そこから先へ進むには別の資料が必要だが、限定された公開記録には、基礎となる申立書、参加申立て、宣誓供述、答弁、証拠、回状そのもの、事件500の全記録、後日の本案判断は含まれていない。

このため、法的な語感を日本語の便利な一語へ押し込むより、原処分を明示し、その効果を限定して説明する方が誠実である。事件509という申立ては手続上終わった。しかし、申立てで提起された可能性のある主張が正しいとも、誤りとも判断されていない。終局性はあるが、統治上の命題を支える判例的な答えはない。それが、この出来事の中心にある非対称性である。

三つの日付が作る、短いが決定的な線

2022年10月21日は、命令が電子申立てシステム上の休止の起点として挙げた日である。2023年2月7日は、命令が言及する回状の日付である。2023年4月6日は、判事が申立てを set aside とした日である。この三点を結ぶと、何らかの司法的な理由付けが段階的に発展した歴史ではなく、不活動が確認され、回状があり、それでも手続行為がなく、処分に至った履歴が見える。

回状の本文は公開された限定資料にない。誰に何を求め、どの期限を示し、どの方法で届いたかを断定してはならない。それでも、命令が回状の日付を明記した意味はある。裁判所は、単に古い事件を機械的に消したというより、回状にもかかわらず当事者らから何も来なかったことを処分理由の一部として記録した。ここで確実なのは回状の存在への司法的な言及であり、内容や送達の詳細ではない。

日付を正確に並べると、出来事を大げさに劇化する必要がなくなる。秘密の決着も、劇的な敗北も要らない。動かなかった期間と、動きを促したと読める一つの記録と、その後の処分だけで、十分に制度的な問いが立つ。重要なガバナンス論点は、常に大法廷の判決で消えるとは限らない。誰も次の一歩を出さないまま、法にならずに消えることもある。