要約
- AFRINIC-3の主要会合は2005年12月13日と14日にカイロのギザ地区で開かれた。これはAFRINICが最終承認を得てから初めてカイロで開いた政策会合だが、承認後初の政策会合ではない。AFRINIC-2が同年4月26日と27日にマプトで先に開かれている。
- 同じ会場と日程の下には、外部の承認、IPv6事業、AFRINICの経営・サービス報告、移行期の政策策定手続、AFRINICとAfNOGの覚書、姉妹RIRとIANAの報告、WSIS後の討議、技術研修、スポンサーシップという少なくとも九つの制度系が存在した。出席者が重なっていても、主体、手続、成果、権限は統合されない。
- 政策会合でのコンセンサスは最終採択ではなかった。当時の手続では、公開メーリングリストでの最低30日の討議、対面会合での一般的合意、15日のラストコール、AFRINIC理事会による批准・採択が別々の段階だった。
- 公式記録は4バイトASN提案を、合意を得た五提案の一つとして記す一方、30日の事前討議を満たさず合意形成の対象として討議されなかった提案としても記している。この矛盾は未解決であり、どちらか一方を事実として選べない。
- AFRINICは番号資源を記録し調整するレジストリである。主権、処罰権、警察権、裁判官の権限、一般的な裁定権を持たず、カイロへの参加や機関の威信によってそれらを取得したわけでもない。政府、ICANN、IANA、RIR、ITU、ECAの出席や発言も、それぞれの行為を立証するにとどまる。
「最初」という言葉を狭く、正確に置く
AFRINIC-3の主要会合は、2005年12月13日と14日、エジプト・カイロのギザ地区にあるMena House Oberoiの会議場で開催された。AFRINICの会議一覧は12月11日から14日までの四日間を示すが、公式報告が描く中心部分は、13日の最初のAfrican IPv6会合と、14日のAFRINIC本会議である。11日と12日は、より広い会期に含まれる研修・普及活動の時間として扱うのが適切だ。四日間すべてを一つの政策意思決定セッションと数えることはできない。
この会議を「承認後初のカイロ政策会合」と呼ぶには理由がある。ICANN理事会がAFRINICを地域インターネットレジストリとして最終承認したのは2005年4月8日であり、カイロ初日はそこから249日、二日目は250日後だった。しかし、4月26日と27日にはAFRINIC-2がマプトで開かれている。これは承認から18日、19日後に当たる。したがってAFRINIC-3を単に「承認後初の政策会合」と呼べば、既に起きたマプト会合を消してしまう。ここでの歴史的な特徴は、承認後に初めて政策会合が開かれたことではなく、承認後のAFRINICが初めてカイロでその種の会合を開いたことにある。
この精度は些末な年表修正ではない。「最初」という語は、その場を制度の創設点や権限の初回行使として見せる力を持つ。AFRINICはカイロ以前にサービス移管を受け、承認を得て、マプトでも会合を開いていた。カイロを正しく評価するには、制度が突然誕生した瞬間としてではなく、既に稼働していたレジストリが複数の活動を一つの催事に束ねた局面として見る必要がある。
一つの名札の下にあった九つの制度
「AFRINIC-3」という名称は、出来事を探し、日程を整理し、参加を促すための有用な外枠だった。しかし、外枠が同じだからといって、内部の行為が同じ憲法を持つわけではない。少なくとも九つの制度系を分ける必要がある。
第一は、カイロ以前に完了していたRIR承認と移行の系である。第二は、13日のAfrIPv6と6Mandela構想を中心とする事業・講演の系。第三は、AFRINICの経営、会員動向、財務、人事、登録サービス、研修を報告する組織運営の系。第四は、公開メーリングリスト、対面での一般的合意、ラストコール、理事会批准へと進む政策策定の系。第五は、AFRINICとAfNOGが締結した組織間覚書の系である。
第六は、ARIN、RIPE NCC、LACNIC、APNIC、IANAがそれぞれの活動を報告した同業機関・グローバル調整機能の系。第七は、WSIS後の役割や国際機関の関与を論じた円卓討議の系。第八は、IPv6、LIR業務、WHOIS、番号資源申請などを扱う研修の系。第九は、九組織による会議支援の系である。同じ人物が会員、技術者、講演者、政策参加者といった複数の肩書を持つことはあり得る。しかし、ある肩書で会場にいた事実は、別の制度系で意思決定権を得た証拠にはならない。
この分離は形式主義ではない。制度の出力を誤認すると、実務上の結果が変わる。講演を規則と誤読すれば、任意の技術協力が義務のように見える。業務報告を会員決議と誤読すれば、説明を受けたことが承認したことに変わる。会合段階のコンセンサスを最終採択と誤読すれば、まだラストコールも理事会判断も終えていない提案に基づいて、番号資源申請、設備投資、社内手続を組み替えることになる。会議の価値を認めることと、会議の権限を限定することは両立する。
成果を五つの型に分ける
九つの制度系は、成果の型で見るとさらに理解しやすい。第一は情報である。経営報告、姉妹RIRの近況、IANAの統計、運用講演は、受け手の知識を変えるが、それだけで権利義務を変更しない。第二は能力である。研修や実習は、参加者が申請、運用、障害対応を行う能力を高める。能力が高まったことは、講師や主催者への政治的な委任を意味しない。
第三は計画・提案である。6Mandelaの将来構想、ITU関係者の提案、ECAのオブザーバー案は、将来の選択肢を会場に置いた。提案が注目され、反応を得たとしても、正式な採択主体が定められた手続を終えない限り、制度の確定行為にはならない。第四は契約である。AFRINIC-AfNOG覚書は、権限ある当事者が合意した範囲で権利義務を生じ得るが、効果は条文と当事者の範囲を超えない。
第五は段階的な決定である。対面コンセンサスは、政策案をラストコールへ送る中間判断だった。その後の理事会批准は、機関としての最終採択を担う別の判断である。「決定」と呼ばれるものの中にも、次の段階を開く決定と、制度上の手続を閉じる決定がある。この型分けを記録の冒頭に置けば、同じ催事の中に情報、能力、提案、契約、途中判断が共存しても、読者が拘束力を取り違えにくい。
重要なのは、成果の価値と拘束力を一つの物差しで測らないことだ。優れた研修は、拘束力がないから価値が低いのではない。正確な業務報告は、決議でないから無意味なのではない。逆に、正式手続を経た政策でも、技術的・経済的な影響を検証する余地は残る。カイロを一つの「成功」または「失敗」に圧縮せず、各成果を固有の目的と責任で評価する方が、会議が実際に生んだ価値をよく保存できる。
承認は会場の拍手で再授与されたのではない
AFRINICの最終承認は、ICANN理事会が申請、移行、公開意見募集、IANAの評価、NROと既存RIRの勧告、ICP-2の基準を踏まえて行った外部の機関行為だった。4月8日の決議が認めた中心的な役割は、アフリカのサービス地域におけるIPアドレス登録その他のRIRサービスである。決議はICANN理事会で喝采により全会一致で採択されたが、その母集団はICANN理事会であって、アフリカの全事業者でも、全利用者でも、八か月後のカイロ出席者でもない。
また4月25日には、創設RIR側とAFRINICの間でNRO参加に関する別の文書が成立した。そこではNRO加盟、NRO覚書への参加、Number Councilの選任枠、当初の象徴的な費用負担などが扱われた。これは12月に締結されたAFRINICとAfNOGの協力覚書とは別物であり、カイロの政策討議とも別の権限線に属する。名称に「覚書」や「地域」が現れるからといって、当事者も法的効果も同じにはならない。
ICANNやIANAが用いた「広い支持」「透明」「ボトムアップ」「地域代表」といった制度語は、承認の際にそれらの機関が採用した評価と表現を示す。公式文書は、ICANN理事会が何を決議し、IANAが何を評価したかを立証する。しかし、その自己記述や評価語を、全ての影響当事者が恒久的に権限を委任したという独立の事実へ昇格させてはならない。承認はレジストリ調整システムの中での地位を与えたのであり、領土主権、立法権、警察権、一般的裁判権を与えたのではない。カイロの聴衆にも、その承認を再演し、範囲を拡張する権限はなかった。
13日のIPv6会合――支援と知識は政策批准ではない
12月13日のプログラムには、エジプトIPv6 Task Force、AFRINIC、政府関係者、IPv6 Forum、ネットワークや企業の講演者が参加した。Tarek Kamel通信・情報技術相が会合を公式に開き、Adiel Akploganは6Mandela構想を紹介した。報告によれば、その構想は認知向上、会合、研修、運用研究、テストベッドを通じてIPv6を促し、関心を持つ当事者とともに2006年に内容を固めるものだった。メーリングリストへの参加も呼びかけられた。
ここで生まれ得たものは、注意の集中、知識の共有、協力意思、将来事業への参加、実装経験の伝達である。大臣の開会、企業や技術者の発表、参加者の関心は、いずれも有意味だ。だが、報告は13日を番号資源政策の批准会合や会員総会として記していない。政府の支援表明は政府の発言であり、AFRINICへの主権委譲ではない。6Mandelaへの参加意思は事業への関与であり、アフリカの全ネットワークに対するIPv6導入命令ではない。プログラムの影響力と規則の拘束力を区別してこそ、参加者は技術的価値を自由に評価できる。
本稿が確定できるのは、2005年時点でどのような構想が会場で提示されたかまでである。予算、統治構造、達成指標、後年の成果は、この記録からは確定しない。後の結果を知っているかのように当時の意思決定へ投影することも、後のAFRINICの危機を用いて2005年の参加者に不正や悪意を帰すこともできない。
14日の業務報告――会員に関わる話と会員の意思決定は違う
14日の本会議では、CEOと職員が2005年の活動、会員動向、財務、人事、番号資源関連の業務、研修、登録サービスへの需要、新たなIPアナリストなどを報告した。LIR向けコンピューター教材の発表もあった。若いレジストリが能力、需要、資金、人員を説明することは、会員や利用者がサービスの持続性を判断するうえで重要だった。
しかし、確認できるAFRINIC-3記録には、別個の年次または臨時会員総会、会員決議、議決権者名簿、定足数、投票、規約改定が示されていない。「会員の事業に関する報告」と「会員が会社行為を決定したこと」は同じではない。会員が会場にいたという記述も、誰が法的な会員で、誰が議決資格を持ち、どの議案に賛否を示したかを答えない。ここで立証されるのは、経営陣が会員・財務・業務に関する情報を提示したことまでである。
これは会員の役割を小さく扱うための区別ではない。むしろ会員の権利を守るためである。説明を受ける権利、質問する機会、会社法上または規約上の決議権は、それぞれ別の記録を必要とする。会員決議が別の場所で実際に行われた可能性を、会議報告にないという理由だけで否定することもできない。必要なのは、通知、議題、定足数、適格者、決議文、投票結果を示す記録である。
政策形成――部屋の合意は途中の信号だった
AFRINIC-3で最も直接的に意思決定へ接近したのは、14日午後の政策討議である。当時の移行期政策策定手続では、誰でも提案でき、誰でも公開のpolicy-wgメーリングリストに参加できた。提案は対面会合の少なくとも30日前からリストで討議され、会合では多数決ではなく「一般的合意」としてコンセンサスを確認する。そこで合意が得られても、直ちに実装されるのではない。さらに15日のラストコールを経て、AFRINIC理事会が批准し、採択するという段階が残った。
この設計は、対面の技術討議を軽視せず、同時にその場だけを最終権力にしない。会場参加者は、適格な提案を次の段階へ進める信号を形成できた。メーリングリスト参加者は、会場とは異なる時間と参加経路から異論や修正を提示できた。最終的な機関採択は理事会の責任だった。したがって「コミュニティが決めた」という一文だけでは、どの段階の、どの参加者による、どの効果を持つ判断なのか分からない。
記録は、PIまたは直接割当、臨時または重要インフラ向け割当、ASN割当基準、IANAからRIRへのIPv6割当、4バイトASNという五つの提案ラベルを、会合でコンセンサスを得て15日の追加討議へ進むものとして列挙する。ここから安全に言えるのは、少なくとも公式記録が会合段階の合意と次の手続をそのように説明したことだ。各提案がその後ラストコールを完了し、理事会に批准され、いつ実施されたかは、この資料群だけでは閉じていない。
また、対面コンセンサスは多数決ではなかった。総出席者数、賛成者数、反対者数、棄権者数から支持率を計算することは、手続の性質にも記録の状態にも反する。一般的合意には、議論をまとめる人の判断、異論の処理、理由の記録が重要になる。ところが確認できる記録は、提案ごとの発言一覧、異論の論点表、合意理由、参加者の母数を示していない。この欠落は合意が無効だったと証明しないが、後世の研究者が合意の厚みを数量化できないことを意味する。
4バイトASNをめぐる二重記録
記録上の最大の亀裂は4バイトASN提案である。公式の会議報告と政策会合ページは、この提案を合意を得た五提案の一つに含める。同じ記録は同時に、同提案がメーリングリストで30日を経ていなかったため、コンセンサス形成に向けて討議されなかったとも述べる。この二つは、会合段階の地位について両立しにくい。
ここで研究者がしてはならないのは、文脈上もっともらしい方を選び、もう一方を誤記として消すことだ。単純に五件から一件を引き、「確実に四件だけだった」と確定することもできない。提案固有の最初のメーリングリスト投稿日、議長または進行役の宣言、会合メモ、ラストコール記録、理事会議事録がなければ、合意、手続上の延期、編集上の重複・誤記のどれだったかは決められない。
この矛盾は、AFRINIC-3全体が無効だった証拠ではない。公式記録の完全性には限界があり、提案単位の最終性を会議要約だけから復元してはならないという警告である。記録に矛盾があるとき、制度への信頼を守る最善の方法は、矛盾を隠すことではなく、どの追加証拠で解消できるかを明示することだ。
覚書――署名は立証され、条項は立証されない
12月14日、AFRINICのAdiel AkploganとAfNOG議長Nii Quaynorが協力覚書に署名した。AFRINICの報告と同時代のAfNOGメーリングリスト記録が、日付、場所、署名者を相互に支える。公式報告では署名を説明する段落が重複しているが、覚書が二件あったことを意味しない。一つの文書、一度の署名行為として数えるべきである。
一方、締結済み文書の本文は確認できない。したがって、具体的な義務、資金、独占性、期間、成果物、解除、紛争処理、権限委譲を語ることはできない。覚書の効果は、署名者がそれぞれの組織から与えられた権限と、文書の条項から生じる。会場で見守った人、同じ催事に登録した人、別のセッションで拍手した人が当事者になるわけではない。
この区別には二つの方向がある。文書が未公開だからといって、不当な取引、無権限、スポンサー支配を推定してはならない。同時に、「協力」という好意的な名称だけで、費用や統制配分が存在しなかったとみなしてもならない。署名という確かな事実を保持し、条項という未知を未知のまま残すことが、契約の評価に必要な最低線である。
姉妹RIR、IANA、ITU、ECA――在席は共同採択ではない
ARIN、RIPE NCC、LACNIC、APNICの四つの姉妹RIRとIANAの担当者は、それぞれの状況や活動を報告した。APNICのPaul Wilsonは、20GBの過去の経路情報をiPodでAFRINICへ引き渡したと記録される。この行為は、同業機関間の知識・データ協力として具体性がある。ただし、ファイルの目録、チェックサム、利用条件、対象期間、後の利用は確認できない。四RIRの出席も、グローバルなRIR共同投票が行われたことを意味しない。
IANA担当者の発表はIANAの活動・サービス統計に関する報告であり、4月の承認過程でのIANA評価とは別の行為である。カイロでIANAの職員が話したことは、その説明を立証するが、会場の政策提案をIANAが採択したことにはならない。ICANN理事会の承認、IANAの評価・報告、AFRINICの政策策定、各RIRの業務報告は、協調していても同じ意思決定主体ではない。
ITU関係者が示した、競争的なアドレス空間配分として説明された提案には、国別配分への反対やITU関与への疑問が会場から出され、エジプトIPv6 Task Force側から説明があったと報告される。ここで記録されたものは、提案、反応、説明である。AFRINIC政策としての採択ではない。発言の存在と制度的な効力を分けることは、賛否いずれの立場にも必要である。
WSIS後のインターネットガバナンスを扱った円卓討議でも、ECA、AFRINIC、LACNIC、ICANNその他の話者が役割や提案を述べた。国際機関にAFRINIC理事会へのオブザーバー参加を認める案も報告されたが、理事会の採択、会員の承認、条約行為は記録されていない。円卓で語られた制度構想を、その日の組織決定に書き換えることはできない。
政府、開催国、裁判所をレジストリから切り離す
エジプト政府関係者の参加、通信・情報技術相の開会、政府機関を含むスポンサーの支援は、開催国が会合を歓迎し、一定の目的を支持したことの証拠になり得る。だが、会議場の提供、儀礼、警備、入国・滞在の行政、国内法の適用は、番号資源政策の主体となることとは違う。開催国の主権が会議を通じてAFRINICへ流れ込むわけでも、AFRINICの手続が開催国の主権を置き換えるわけでもない。
同様に、AFRINICは裁判所ではない。番号資源の記録、申請処理、WHOIS等の情報提供、合意された方針の運用、契約の履行要求は、一般的な司法権と同じではない。契約や会社行為に法的紛争が生じれば、適用法の下で権限を持つ裁判所や紛争処理制度が解釈・判断する。レジストリ自身が主権的な処罰権、警察権、裁判官の権限、社会一般を裁定する権限を持つことにはならない。
この限定は、AFRINICに何の権利もなかったという意味ではない。会社としての内部権限、契約上の権利、サービス提供者としての運用上の判断は存在し得る。重要なのは、拘束の根拠を一件ずつ、契約、会社規則、認められたレジストリ機能、適用法、影響を受ける本人の権利へ遡らせることだ。「コミュニティがそう言った」「会議が開かれた」というだけで、制裁や権利剥奪の一般権限を導いてはならない。
番号資源についても、台帳管理と主権的所有を混同してはならない。レジストリは、一意性を保ち、重複を避け、申請と登録の履歴を管理し、合意された基準に沿ってサービスを提供する。その記録がネットワーク運用に重大な影響を持つとしても、影響の大きさから所有権や統治権が自動的に生じるわけではない。空港の管制が飛行の安全に不可欠であることと、管制者が航空会社や旅客を政治的に統治することが別であるのと同じく、技術的な調整の不可欠性は一般権力の根拠ではない。
この境界を曖昧にすると、通常のサービス上の不履行への対応と、主権的な処罰が言葉の上で接近する。前者には、契約条件、通知、比例性、異議申立て、適用法といった根拠を示せる。後者は、社会一般に対して強制を行う公権力であり、レジストリ会議のコンセンサスから発生しない。運用上の必要性を説明するときほど、誰のどの権利に、どの文書を根拠として、どの期間、どの救済経路を伴って作用するかを記録しなければならない。
研修、参加者約65人、スポンサー九者の正しい位置
主要会合の前には、IPv6、オペレーティングシステム、トンネリング、セキュリティ、監視、障害対応、ルーター、WHOIS、番号資源申請などを扱う実践的な研修が行われた。12月12日のIPv6ワークショップが特定される一方、LIR研修は主要会合の数日前と説明され、完全な日別日程は残っていない。LIR研修には約65人が参加したと報告される。
この65という数字は、資料中で貴重な数量情報であるからこそ、誤用しやすい。これはLIR研修の概数であり、AFRINIC-3の総登録者数でも、政策討議の参加者数でも、会員出席率でも、組織数でもない。延べ人数か固有の人数か、どの組織・国を代表したかも確定しない。「数人の会員や事業者らが参加した」という記述から、代表比率を算出することもできない。
研修は政策投票ではないが、制度的に周辺的という意味でもない。申請方法や登録サービスを理解する能力は、事業者が番号資源にアクセスする際の手続費用を下げる。技術知識は政策討議の質を高める可能性がある。それでも、研修を修了したことは政策への同意ではなく、研修会場への参加は覚書への加入でもない。能力形成の価値を認めながら、代表権を付加しないことが重要である。
公式報告は九つのスポンサーを列挙するが、現金と現物の別、金額、契約条件、議題への関与、拒否権は示さない。スポンサーシップは会合の実現に寄与したという機関側の説明を支える。だが支援から投票権や政策支配を推定することも、条件が見えないことから不正な影響を断定することもできない。両方の飛躍を避けるには、資金・現物の内容と意思決定権の有無を別々に開示する必要がある。
会議ロジスティクスも、それ自体で一つの補助的な系である。開催日、会場、受付、移動、研修室、通訳や教材、機材、時間配分は、誰が実際に参加でき、どの程度準備できたかに影響する。ゆえにロジスティクスは代表性や議論の質と無関係ではない。しかし、会場を手配した者、費用を負担した者、受付名簿を管理した者が、そのことだけで政策の最終承認者になるわけではない。逆に、会議の運営が円滑だったことも、各制度系の手続が完結した証拠にはならない。
11日から14日までの日別構成が完全には分からない以上、研修参加、主要会合への登録、14日午後の政策討議への実参加を一つの連続した出席として扱えない。将来、受付記録や完全な議題が見つかった場合も、名札の発行時刻と意思決定への関与を分けて読む必要がある。ロジスティクスの記録は「誰が来られたか」を明らかにするが、「誰が誰から何を決める権限を得たか」までは単独で答えないからである。
出席を地域全体の委任へ変えない
公式報告は、AFRINIC会員、四つの姉妹RIR、ITU、ECA、エジプト政府の代表、アフリカのネットワーク事業者などが参加したと記す。これは、異なる種類の関係者が同じ催事に来たことを示す。しかし、全体の人数、会員数、組織数、国数、事業者数、各セッションの名簿、影響を受ける全事業者に対する比率は示されていない。「several」に数値を割り当てることはできない。
代表性には少なくとも三つの別問題がある。第一は在席で、誰が実際にその部屋にいたか。第二は参加で、誰が特定の議題について話し、異議を述べ、合意形成に関与したか。第三は授権で、その人がどの会員、会社、政府、利用者、事業者から何を任されたかである。一つ目の証拠を二つ目へ、二つ目を三つ目へ自動変換してはならない。まして、研修の名札を政策委任へ、政府の肩書を全アフリカの委任へ、RIR職員の報告を全世界の承認へ変えることはできない。
母数がないことは、排除や乗っ取りを証明しない。少数の常連だけが政策を支配したと断定するためにも、セッション別名簿、所属、発言記録、参加費用、遠隔参加の状況などが必要になる。正しい結論は「広範な委任があった」でも「狭い集団が不当に支配した」でもなく、確認できる資料からはそのどちらも数量的に立証できない、である。
最も強い反論――若いRIRには統合会合が合理的だった
この分析への最も強い反論は、2005年のAFRINICが、移行と最終承認を終えたばかりの若いRIRだったという点から始まる。広い地域で政策、登録サービス、IPv6能力形成、同業機関との調整、組織間協力を別々に開催すれば、移動費と運営費が増え、参加の機会も減る。一つの地域会合に会員、技術者、政府関係者、同業者、職員を集めることは合理的であり、同じ人物が複数の役割を担う新興技術共同体の実態に合っていた。
さらに、政策手続は誰でも提案・参加できる公開リストを用い、多数決ではなく一般的合意を求め、会場の後に15日のラストコールと理事会批准を残していた。研修、RIR報告、IANA統計、経路データ、運用講演が政策参加者の知識を増やすなら、制度を同じ場所に置くこと自体が判断の質を高める。2005年の会議報告に、今日期待される細密な参加分析がないからといって、会合の実在や成果を否定するのは不公平だ。
この反論は相当に強い。AFRINIC-3が有用な機関形成の場だったこと、統合開催が費用と知識共有の面で合理的だったことを認めるべきである。しかし、効率が権限の合併を必要としたわけではない。統合開催の便益は、各出力を正確に名づけるほど強くなる。講演は講演、研修は研修、業務報告は情報、覚書は当事者間契約、対面コンセンサスは適格な提案をラストコールへ送る段階、理事会は最終批准者、ICANN承認はそれ以前の外部行為である。この分類は共同体の成果を消さず、成果に伴わない権力だけを除く。
公的記録から言えること、言えないこと
AFRINIC自身の資料は、会議の日時、場所、プログラム、機関側の説明、政策手続の記述、覚書署名、同業機関の報告、研修、スポンサーを立証する主要な記録である。同時に、それはAFRINICが何を記録し、何を主張したかを示す資料でもある。「成功」「共同体」「地域代表」「コンセンサス」といった表現を用いる場合は、制度上の話者と対象を保持しなければならない。公式であることは、その機関の行為を強く立証するが、記載された評価語を独立の普遍的事実に変えるものではない。
2026年8月10日の証拠期限までに確認できないものも明確である。全体と各セッションの参加母数、別個の会員決議、AFRINIC-AfNOG覚書の本文、4バイトASNの提案固有の処理、各提案のラストコール・理事会批准・実装の完結記録、スポンサーの金額と条件、11日から14日までの完全な日別日程である。これは、公的・私的を問わず文書が絶対に存在しないという主張ではない。確認された資料群が答えを与えないという、検索範囲に限った不確実性である。
AFRINIC-3について最も堅固な結論は、礼賛でも断罪でもない。承認後の若いレジストリがカイロで多くの制度形成活動を束ねた、実在し影響力のある会合だった。しかし、そこに一つの有権者、一つの決定規則、一つの権限、一つの「共同体の委任」があったわけではない。AFRINICの正当な力は、番号資源の一意性を支える台帳、調整、申請処理、サービス、合意された手続の運用にある。その力を明確にする最良の方法は、主権の衣を着せることではなく、誰が何をどこまで決めたかを追跡可能にすることである。
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