要約

  • 対象は基本的なラインモード・クライアント、基本サーバー、共通コードライブラリで、ソース形式とバイナリ形式の双方が含まれた。
  • CERNは使用、複製、改変、再配布を認めたが、一切の保証を否定し、品質と性能のリスクを利用者に移した。
  • 1994年も新バージョンは無料で配布された。ただしCERNが著作権を保持し、後続の第三者による専有化を防ぐため表示を求めた。

公開時点でWebは動いていた

1993年春、Webは構想だけの段階を過ぎていた。W3Cに保存されたプロジェクト年表は、ラインモード・ブラウザーの先行配布、CERN外のサーバー、2月に公開されたNCSA Mosaic for Xを記録している。Tim Berners-Leeは5月7日の告知で、70台を超えるサーバーと14種を超えるクライアントがあると述べた。これは当時のプロジェクト側の数字で、独立監査済みの世界全体の台数ではない。それでも、CERNの宣言が署名された頃には、複数の実装と利用者がすでに存在したことが分かる。

W3Cが保存する宣言は対象を明確に列挙する。基本ラインモード・クライアント、基本サーバー、共通コードライブラリである。CERNはこれらのソースコードとバイナリ形式に関する知的財産権を放棄し、誰にでも使用、複製、改変、再配布を許した。CERN文書サーバーは二ページの文書をCERN-IT-9304003として登録し、日付を1993年4月30日としている。Berners-Leeの5月7日のメールにも同じ署名日がある。一方、W3Cに残る配布条件ページは署名が5月だったと記す。資料は食い違いを説明していないため、どちらかに勝手に統一すべきではない。

変わったのは限定された再利用許可

実務上の変化は、許可を求める必要がなくなったことだ。大学、研究所、開発者は、対象のコードを取得して複製し、改変して配布できた。別々の組織がクライアントとサーバーを運用する仕組みでは、再利用の摩擦を下げる可能性がある。Berners-Leeは共通ソフトウェアの核が互換性を保ち、同じ作業の繰り返しを防ぐと説明した。ただし、CERNの他のソフトウェアに適用する前例ではないとも明記した。宣言で示された目的は、ネットワークとコンピューター協調作業における互換性、共通慣行、標準を促すことだった。

これは「Web」全体の権利を移す決定ではない。あらゆるブラウザー、プロトコル、オンライン資料やサービスをパブリックドメインにしたわけではなく、CERNが列挙したプログラムに限られる。Mosaicはイリノイ大学で開発され、別の権利とライセンスの歴史をたどった。狭い範囲のソフトウェア許可を、Web全体の一括譲渡のように語ると、記録が示す変化を誇張してしまう。

同じ文書は責任の境界も設けた。CERNは一切の保証をしない。品質と性能に関するリスクは全面的に利用者が負い、損害への責任も否定された。コードを改変する自由は、保守やサポート、あらゆる環境で動くという約束を意味しない。再利用は認めるが、派生版の結果をCERNが保証するわけではなかった。

この両面は「CERNがWebを世界に贈った」という単純な話から抜け落ちやすい。複製の許可は実験のコストを下げる。保証は故障の一部を元の組織に戻す。CERNは前者を与え、後者を引き受けなかった。受け取った側が検証し、維持し、自らの用途に耐えるか判断する必要がある。各チームが責任分担をどう理解したか、どの導入先が対象コードを使ったかは、資料から確定できない。

公開許可だけでは採用の原因を証明できない

現在のCERNの歴史ページは、この公開がWebの発展を可能にしたと述べる。1993年の告知は同時に、高エネルギー物理のコミュニティ、すでに存在したサーバー、多数のクライアント、NCSAによるMosaic、各地の大学の貢献も挙げている。W3C年表は公開後のトラフィックやサーバーの増加を記録するが、宣言、ブラウザーの使いやすさ、ネットワーク接続、共通プロトコル、他組織の作業の効果を分離していない。

証拠の段階を分けて考える必要がある。宣言は再利用許可を証明する。ソースコードの入手可能性は、検討や改変の機会を示す。どちらも、実際に改変されたこと、別々の実装が相互運用したこと、Webの成長がこの決定だけによることを証明しない。Berners-Leeのメールは成長中のエコシステムを描くが、反実仮想を用いた因果評価ではない。

1994年11月、Webチームの責任者François Flückigerは、共通コードライブラリ、ラインモード・ブラウザー、HTTPサーバーの新バージョンについて別の条件を告知した。一般用途に無料で配布する点は変わらないが、CERNが著作権を保持し、複製時に著作権表示を要求する。Flückigerは、第三者が自由なソフトウェアを専有化して利用者の権利を奪うのを防ぐ狙いだと説明した。

CERNの現在の説明は、この変更をパブリックドメインから著作権を保持するオープンライセンスへの移行と位置づける。1993年の宣言が遡って取り消されたことを、参照した資料は示していない。対象は新バージョンの配布条件である。無償利用を続けながら、表示と再専有防止の条件を加えた。「無料」は続き、法的な制御の仕組みが変わった。

文書が残した境界

1993年の宣言はCERNの三つのWebソフトの再利用を容易にした。ソフトを自動で保守したわけでも、運用者に採用を命じたわけでも、パブリックドメインだけで世界規模のネットワークが生まれたと証明したわけでもない。確かに言える意義はより限定的だ。利用者はCERNに一件ずつ許可を求めずに複製と改変を行えるようになり、運用結果の責任は利用者側に残った。

この宣言は機会とリスク移転を一つの記録にした。対象ソフトを指定し、互換性という目的を掲げ、複製と改変を許し、品質と性能の責任は引き受けないとした。1994年の変更は、無償配布を別の法制度で続けられることを示す。Webの成長は、ソフトウェア、標準、ネットワーク、組織、利用者からなる、もっと広い歴史の一部である。

参考資料