要約

  • 1991年12月12日、SLACはヨーロッパ外で最初のWebサーバーを設置した。初期ページには研究所の情報とSPIRES-HEPへのWebインターフェースがあった。
  • 意義はWebの発明ではなく、物理学者がすでに使っていた文献データベースに新しい入口を設け、実演と現場の支援で利用につなげた点にある。

サーバーの設置日は節目になっても、始まりそのものとは限らない。1991年12月12日、Paul KunzはStanford Linear Accelerator Center(SLAC)に、同研究所のアーカイブが「ヨーロッパ外で最初」とするWorld Wide Webサーバーを設置した。日付と同じくらい大切なのは用途だ。初期ページの一つは、高エネルギー物理学者にすでに知られていた文献データベース、SPIRES-HEPへの入口だった。[1][2]

カリフォルニアへの道筋は、大規模な導入計画ではなく人との会話から始まる。9月、KunzはCERNでTim Berners-Leeと会った後、Webの存在をSLACに持ち帰った。続く作業は実務的だった。実験用サーバーを立ち上げ、少数のページを置き、同僚がすでに利用する理由を持っているサービスにつなぐ。12月13日の告知でBerners-LeeはTerry Hung、Kunz、Louise Addisに謝意を示し、サーバーを明確に「実験的」と呼んだ。その留保は重要だ。動くデモであって、完成した可用性の約束ではなかった。[1]

最初のサイトはSPIRES専用ではない。SLACのアーカイブには、研究所のVM計算サービスの案内、職員・教員・高エネルギー物理の通信相手を載せたオンライン名簿BINLIST、そしてSPIRES.HTMLが残る。SPIRESページの「Search」はSPIRES.INDEXへ、「Help」はSPIHELP.INDEXへつながっていた。Webは既存の研究ツールにリンクでたどれる画面を加えた。データベースも記録も、論文を探す研究者の必要も、Webが作ったわけではない。[2]

この違いが、設置の記憶が広がった理由を説明する。1992年1月、Berners-Leeはフランス南部の高エネルギー物理計算ワークショップでWebを実演した。SLACの回顧記録によれば、最後に示されたのがSPIRESのページだった。研究者たちは所属機関へ戻り、WebとSPIRESへの接続の両方を同僚に伝えた。インターフェースは「何に使えるのか」という問いに、既知のサービスへ機関を越えてアクセスできる、という具体的な答えを与えた。[1]

その後の普及には人手と継続性が要った。1992年2月、AddisはSLACでの活用を探るボランティア集団「WWW Wizards」を立ち上げた。アーカイブは六人のボランティアと、助言役のKunzを記録している。7月にはTony Johnsonが研究所の共通トップページを作成し、秋にはUnixとVMSで動くブラウザーMidasWWWを公開した。全文検索はさらに後で、SPIRES全文の一般公開は1993年6月、SLAC初の公式ホームページは同年11月とされる。これらを1991年のサーバーに遡って帰属させてはいけない。[1]

北米の節目は、インターフェースと受容の歴史として読むのが正確だ。SLACは新しいハイパーテキストを、すでに利用者のいる研究情報の実務につなぎ、デモ、ボランティア支援、後続ツールで結びつきを深めた。Web自体はCERNのプロジェクトである。SLACの役割は、別の研究環境でその価値を具体化することだった。入口が意味を持つのは、その先に役立つ場所があるからだ。

史料・出典