要約

  • 第1段階では4機関がUUCPで結ばれ、豪州のVictoria University of Technologyがインターネットのゲートウェイ、Ateneo de Manila Universityが国内の中継拠点を担った。
  • 1994年3月29日、第2段階で米国向け64 Kbps回線が開通した。資料が示すのは機関コンソーシアムの経路であり、全国の家庭への接続ではない。

ゲートウェイは段階を踏んで築かれた

1994年3月29日、フィリピンは国際電気通信連合(ITU)が後に国内初の恒常的な公共インターネット接続と記した回線を得た。米国のSprintへ向かう64 Kbpsのリンクである。日付はよく知られている。一方、その回線までのネットワークを単一の「初接続」に縮めると、残された記録の構築過程が見えなくなる。

PHNETの組織史は、1993年6月に起点を置く。Department of Science and Technology(DOST)が、世界のインターネットに接続する全国ネットワークの実現性を調べる技術委員会を招集した。委員はDOST、Ateneo de Manila University、De La Salle University、University of the Philippines Diliman、University of the Philippines Los Bañosの代表で構成された。これは構想に参加した機関を示す名簿であり、国内のすべての利用希望者を代表した証拠ではない。

第1段階は翌月に始まった。限られた設備で、DOST、Ateneo、De La Salle、UP Dilimanがつながった。機関間のデータ移動には、蓄積転送型のUUCPを用いた。インターネットへの経路は、Ateneoとの組織的なつながりを通じて、豪州のVictoria University of Technologyをゲートウェイとしていた。Ateneoは国内の中継拠点になった。つまり、国内のメール交換、海外ゲートウェイ、恒常的な国際インターネット回線は別々の層だった。

第2段階ではネットワークの規模と対外経路が変わった。PHNETの記録によれば、会員は10機関に増え、University of Santo Tomas、CebuのUniversity of San Carlos、BaguioのSaint Louis University、Cagayan de OroのXavier University、Industrial Research Foundationが加わった。同じページはAsian Development Bank、International Rice Research Institute、Mosaic Communications、Asian Institute of Managementを支援会員として別に挙げており、10機関の会員とは区別している。

PHNETは、第2段階で会員間に64 Kbpsの専用線を設け、別の64 Kbps国際専用線によって米国へのインターネット接続を確立したと記録する。リンクの日付は1994年3月29日で、DOSTの承認から4か月後に稼働したという。フィリピンのメディア史を扱う博物館のページは、1997年の記述を転載し、University of San Carlosで開かれたFirst International E-mail Conferenceの際に初のリンクが設けられたとしている。後年のPhilippine Institute for Development Studiesの政策ノートも3月29日とSprintのカリフォルニア・ゲートウェイを挙げる。ITUはこれを初の恒常的な公共接続と位置付ける一方、それ以前に民間企業が独自の接続を持っていたと記している。

「フィリピンがインターネットにつながった」という表現は、複数の層を指しうる。UUCP交換は参加機関が予定された中継でメッセージを運ぶ仕組みだった。会員ネットワークは国内機関を結んだ。専用国際回線によってPHNETは別種の到達性を得た。どの事実も、家庭利用者数、全州での利用可能性、回線の稼働率を単独で示すものではない。

より正確な結論は限られている。DOSTが招集したプロジェクトは、機関間協力を段階的な経路に変え、まず豪州のゲートウェイを使い、その後、米国向け64 Kbps回線を設けた。PHNETの会員名簿と回線記録は経路を示すが、10機関のコンソーシアムを全国の接続状況の指標にはできない。

出典