要約

  • 1999年に電話サービスが200の有人島すべてに届いたことは、インターネット通信の到達を意味しない。
  • 2003年のITU報告では、主にマイクロ波の基幹網にデータプロトコルがなく、国内交換所も未決定だった。

群島を結んだ電話網

「普遍的」という言葉を広く解釈しすぎると、モルディブの通信史を読み違える。1999年、Dhiraaguは200の有人島すべてに電話サービスを届けた。ITUの事例研究によると、各島には少なくとも2台の公衆電話が設置されていた。南北に数百キロ広がる群島を考えれば、大きな全国的成果である。報告が普遍的な電話アクセスと記した点を、そのまま受け止める必要がある。

基幹網に欠けていた層

それだけで、同じ網がインターネットデータも運んだとは言えない。2003年5~6月の調査に基づく報告では、有人島を結ぶ国内基幹網は主にマイクロ波で、南部への衛星リンクが例外だった。そして「基幹網上ではデータプロトコルは使用されていない」と明記する。音声を届ける設備が、そのままインターネットのバックホールになるわけではなかった。

インターネット接続は別の層だった

当時インターネットが存在しなかった、という意味でもない。Dhiraaguは1996年からダイヤルアップを提供し、2002年にはマレでADSLを始めていた。より限定された事実は、全国の電話網の到達範囲と国内インターネットのデータ経路が別だったことだ。島の公衆電話は電話サービスへのアクセスを示すが、島でインターネット通信を国内データ網に収容できたことや、現地コンテンツを現地で交換できたことまでは示さない。

交換所が重要だった理由

国際リンクの制御が、この欠けた層の意味を大きくした。ITUによれば、Dhiraaguが国際インターネットリンクを管理し、海外向け経路を扱っていた。当時は海外サイト宛ての通信が大半だった。第二のISPが参入し、現地コンテンツの増加も見込まれるなか、報告の執筆者は国内交換所が合理的だと考えた。国内宛ての通信を国内で交換できれば、国際回線とその料金への依存を減らせる可能性があった。

決定には至らなかった

しかし「合理的」は「稼働中」を意味しない。Dhiraaguと参入予定のISPは国内交換所について話し合っていたが、報告によれば決定には至っていなかった。記録されたのは設計上の問いであり、施設の完成、ピアリングの成立、通信が海外に出て戻ったという測定結果ではない。この証拠の境界を残すことが、資料の価値でもある。

分析

モルディブの事例は、混同されやすい三つの段階を分ける。1999年の有人島すべてへの電話サービス、データプロトコルを使っていなかったとされる国内基幹網、そして2003年時点でも未決定だったインターネット交換所である。接続地点の数だけでは不十分だ。何のサービスを運んだのか、国際リンクを誰が制御したのか、国内通信に国内経路があったのかを問う必要がある。

出典