要約

  • JUNETはDNS導入前から階層型のメール名を使っていた。メール設定とUUCPゲートウェイが、拡大する研究ネットワークでその名前を機能させた。
  • 1989年に.junetから.jpへ移る際、多くの組織名は維持された。ボランティアのjunet-adminが割り当てを続け、1991年にJNICがより広い.jp管理を引き継いだ。

分析

JUNET初期のメール名は、現在のメールアドレスにも通じる形をしている。ユーザー、ホスト、組織、末尾が階層をなす。しかし1980年代半ばの日本では、その階層構造はDNSやインターネット・プロトコルでメッセージが運ばれていることを意味しなかった。

JUNETは1984年10月、University of Tokyo、Tokyo Institute of Technology、Keio UniversityのUNIXコンピューターを電話回線で結んで始まった。使われたUUCPは、断続的な回線を通じてUNIXシステム間でファイルやメッセージを交換する方式だった。電子メールと電子ニュースは、将来の世界的バックボーンを待つ用途ではない。機械を接続する実務上の理由だった。JUNET User’s Guideの初版によれば、参加組織のローカルネットワークをゲートウェイでつなぎ、ゲートウェイ間は公衆電話回線やパケット交換網上のUUCPリンクで結んでいた。

ネットワークは三大学を越えて広がった。1987年11月の同ガイドは、参加組織が約110、システムが約1,000と記録している。中央が一括運営する一つの機械室ではなかった。各機関が自分のローカルネットワークとゲートウェイを運用し、メッセージはゲートウェイ同士を結ぶ回線を通った。利用者が書きやすく、管理者が各ホストの実際の配送ルールに変換できる名前が必要だった。

1985年に開発されたmailconfは、メール配送ルールからsendmailの設定を生成した。JPNICの歴史資料は、このツールで利用可能になったJUNETの階層型アドレスを具体例として挙げている。その形式からホストと組織を読み取れたが、DNSが名前を解決したわけではない。転送はUUCPが担い、実際の経路は各ホストの設定とゲートウェイの知識で決まった。見える名前そのものが経路だったわけではない。

ボランティアのjunet-adminは、組織レベルの名前が重複しないよう管理した。例のtitechはTokyo Institute of Technologyを示す。各キャンパスの全端末に一意の名前を付ける必要はなかった。各機関が自分の機器を管理し、共通のグループがJUNET内で組織名の衝突を防ぐ。これは、実在するネットワークに合わせた調整方法であり、世界規模のDNSレジストリを小さく再現したものではなかった。

海外との接続によって、名前の影響範囲も広がった。JUNETは1986年1月に米国のComputer Science Networkへ接続した。JPNICによれば、その後、海外のネットワークとのメールやニュースの交換が日常的になった。BITNETJPやHEPnet-Jなど、他の日本のネットワークにも独自の名前管理があった。一つの実験ネットワーク内で有用だった組織名は、より広い機関や接続の間で重要になり始めた。

.jpへの移行は旧サフィックスが消える前に準備された。JPNICの歴史資料によると、Jon Postelは1986年に.jpをJun Muraiへ委任した。1988年には主要な学術ネットワークが委任と移行を支持し、AC、CO、ORなどの組織種別ラベルが導入された。この設計には運用上の側面があった。学術ネットワークの利用規則は研究とそれ以外の用途を区別し、運用者は送信元と宛先の組織種別を通信経路の制御に使うことを検討していた。これは設計意図を示す記録であり、すべての運用者が同じルールを一様に適用した証拠ではない。

1989年4月、JUNETの名前は.JUNETから.JPへ移った。JPNICによると、例外を除き、サフィックスの左側にあるホスト名・サブドメイン部分を残し、.JUNETを.AC.JPや.CO.JPなど組織種別を含む名前に置き換えた。組織名がすでに管理されていたため、ツリーの頂点が変わっても組織の識別子を残せた。これは記録された対応関係から導かれる説明であって、すべてのメールボックスが障害なく移ったという証明ではない。参照した史料には、完全な移行前後のホスト一覧、バウンス率、失敗件数はない。

サフィックスを変えただけで、全国レジストリができたわけでもない。.jpの割り当てを担う専任組織がまだなかったため、junet-adminはJUNET以外のネットワークにも割り当て業務を続けた。1991年12月、日本ネットワークインフォメーションセンター(JNIC)が引き継いだ。JPNICの歴史資料は、各ネットワークが共用でき、どれか一つに属さない組織を望んだと説明する。当時のJPNICニュースレターは移行後も続いたボランティアグループの仕事を記録し、後年の歴史資料は、名前空間の拡大によってより広い情報センターが必要になった理由を説明している。

JUNETは実験ネットワークとして続き、他のプロジェクトがIPベースの接続を築く中、1994年10月に停止した。その貢献は「秘密裏にDNSを動かした」ことではない。慣習、ソフトウェア、ボランティアによる割り当て、実際に動くゲートウェイを組み合わせ、DNS以前に名前を使えるものにしたことだ。.junetを置き換えられたのは、その下にある組織階層を参加者がすでに共有していたからだった。次に変わる必要があったのは管理の範囲である。複数ネットワークが使う名前サービスは、もはや一つの実験ネットワークだけの仕事ではなかった。

出典