要約

  • XCoffeeは当初、研究室のネットワークと専用クライアントを使い、コーヒーポットの静止画を同僚に見せる仕組みだった。
  • 1993年11月、サーバーがWebリクエストに応じるようになり、一般のブラウザーから更新画像を取得できた。連続した動画配信になったわけではない。

画面に映ったのは、廊下のポット

1991年末、約15人の研究者が一台のコーヒーメーカーを共有していた。数階離れた場所で働く人が廊下まで降りても、近くの同僚が先に飲み切っていることがある。映像装置の研究者たちが解こうとしたのは、大きな通信問題ではなく、コーヒーが残っているかどうかを確かめる小さな手間だった。

カメラを廊下のポットに向け、床下のケーブルでTrojan Roomのフレームグラバーにつなぐ。サーバーが数秒おきに静止画を取り込み、研究者のワークステーションでは専用クライアントが小さな画像を表示した。画面の更新はおよそ一分に三回で、画像はモノクロだった。鮮明な動画は不要で、「今、取りに行く価値があるか」が分かればよかった。Quentin Stafford-Fraserの1995年の回想には、最初の設置と利用目的が記されている。

この初期版は、研究室の利用者とそのネットワークに結び付いていた。画像を見るにはXCoffeeを実行し、クライアントとサーバーを結ぶローカルな仕組みに入る必要があった。Stafford-Fraserは2001年の技術的な回顧で、独自のRPCプロトコル、研究室のATMネットワークスタック、そして自分たちで作った機器を説明している。実際に動くシステムではあったが、どのブラウザーからでも使えるサービスではなかった。2001年の回顧が、この実装の背景を伝える。

変わったのは見る側の入口

1993年、画像をページ内に表示できるブラウザーが登場し、Web上で扱えるものが広がった。ただし、ブラウザーが画像に対応しただけでポットが公開されたわけではない。ケンブリッジの年表によると、同年11月、Dan GordonがサーバーをWebリクエストに応答するよう改修し、Martyn JohnsonとともにXCoffeeをWebへ接続した。ケンブリッジはこのサービスを最初のウェブカメラと呼んでいる。

閲覧する人は、専用クライアントも研究室のATMネットワークも必要としなくなった。ブラウザーがWebアドレスに画像を要求すれば、サーバーはその時点の静止画を返す。次の要求では、より新しい画像が届く。変わったのは利用者と画像の間の経路であり、カメラや撮影ソフトの置き場所ではない。

ここでいうウェブカメラは、ライブ映像の配信を意味しない。資料が示すのは、リクエストに応じて更新された静止画を返す仕組みだ。連続動画、視聴者との双方向の会話、遠隔操作を裏付ける記録はない。公開されたのは画像であって、廊下そのものではなかった。

見る人は世界へ、機器は部屋に

Web対応のブラウザーがあれば、ケンブリッジの外からでも画像を見られるようになった。Stafford-Fraserは、接続によって画像が世界中からアクセス可能になったと振り返る。ケンブリッジの年表には、カウンターの訪問数が数百万に達した記録もある。ただし、訪問数は固有の閲覧者数ではない。同じ人の再読み込みや自動アクセスも含みうる。誰がなぜ見たのかを特定できる利用者台帳は残っていない。

公開範囲が広がっても、運用の土台は小さいままだった。Stafford-Fraserは2001年、古い機器の大部分がなおシステムを動かしており、大学でそのネットワークが残る最後の区間となり、保守が難しくなっていたと書いている。Computer Laboratoryの移転で装置を支えてきた部屋もなくなる。ケンブリッジの年表は、2001年8月22日10時54分にカメラを停止したと記録する。2001年の回顧と年表が、保守と移転の背景を示している。

この歴史には二つの別々の範囲がある。HTTPは画像を見つけやすくしたが、カメラ、フレームグラバー、画像を作るソフトウェアまでは置き換えなかった。公開URLの先に、部屋と古い機器と少数の保守者が残っていた。

史料と限界

主な史料はケンブリッジの年表、Stafford-Fraserによる1995年の説明、2001年の技術的な回顧である。保存されたサービスページは後年の撮影経路を記録しており、初期版の撮影間隔や画像形式を説明する資料としては使わない。

「最初のウェブカメラ」はケンブリッジ自身の歴史的な呼称である。手元の資料は参加者の回想と大学の年表であり、完全な通信記録でも、それ以前のあらゆるネットワークカメラの独立調査でもない。固有の閲覧者数、保守予算、プライバシーに関する苦情、画像アーカイブの全容は確認できない。