要約

  • 1996年11月の記録では、SADC事務局のハボローネ拠点はプレトリアとの9,600ボー専用線でUUCPメールを運用し、インターネット接続はまだ計画段階だった。
  • Info Botswanaは別途、Global-Oneの64Kフル接続を報告し、インターネットに加えてメール専用サービスやUUCP/Exchangeのメールボックスも販売していた。

この二つの記録は、一つのネットワークが異なる速度で動いていたことを示すものではない。1996年末のボツワナで、異なる組織が別々の通信サービスを選んでいたことを示している。11月30日付のSADC事務局の記録には、ハボローネのUUCPホストとプレトリアへの9,600ボー専用線が載り、インターネット接続は当面の計画に含まれていた。別の12月23日付報告でInfo Botswanaは、11月18日からGlobal-Oneの64Kフル接続でオンラインになったと述べている。商業サービスが稼働していたとされる時期にも、地域機関は自らの次の段階を検討していた。

したがって、問いを「ボツワナにインターネットがいつ来たか」だけに絞ると、重要な違いが消える。各機関が何を必要とし、記録が何を立証しているかを見る必要がある。ハボローネで商用接続が使えるようになっても、すべての組織内メールが自動的にインターネットサービスへ変わるわけではない。SADCの記録は、事務局がInfo Botswanaの回線を使ったとも、同社がSADCのメールを運んだとも、地域ノードが全加盟国を結んだとも述べていない。

地域事務局のメール経路

NSRCのアーカイブは、SADCのホストをAIX搭載のIBM RISC 6000上のUUCPシステムとして記録している。Windows for WorkgroupsとPegasus Mailも記載されている。技術欄にはハボローネからプレトリアまでの9,600ボー専用線がある。この記録は限定的だが、組織の具体的な通信手段を描く。固定された地域経路を通じてメッセージを交換できた一方、事務局はまだ自らをインターネット利用者として説明していなかった。

報告は接続の目的を地域情報の交換とし、貿易に役立つ市場情報にも触れている。さらにSADCの地域統合や民主主義という目標も掲げている。ただし、これらは組織の目的であり、この回線が生んだ成果の測定値ではない。記録にはメール量、利用者数、稼働率、他のSADCノードの一覧がない。事務局がインターネット接続を求め、Webサーバーを計画していたことは書かれている。計画の記録は、接続やサーバーがすでに稼働していた証拠ではない。

ここでのUUCPは、コンピューター間でメールを交換する方式を指し、転送が定期的にまとめて行われる場合もある。それだけでは、インターネット上のホストに対する双方向アクセスを証明しない。アーカイブにある「UUCPホスト」「専用線」「計画中のインターネット接続」という別々の表現を保って読むべきだ。比較的小さな回線が事務局の当面の通信目的に合っていた可能性はあるが、費用、調達、技術者、内部方針のどれが選択を決めたのかは記録にない。

商業プロバイダーの複数の選択肢

Info Botswanaの報告は別の状況を伝える。同社は11月18日からBotswana Telecommunicationsのルーターを経由し、Global-Oneの64Kフル接続でオンラインになったと述べた。これは事業者自身による日付付きの報告である。SADCとの契約には触れておらず、商用回線が事務局の通信を運んだことも立証していない。

料金表は、新しいプロバイダーが「インターネット」だけを販売していたという見方も崩す。個人向けインターネット契約は月150プラ、法人向けは50時間150プラで、追加分は1時間あたり10プラだった。メール専用は80プラ。300プラのUUCPまたはMicrosoft Exchange「ポストオフィス」アカウントは、利用者数無制限とうたわれていた。報告には契約者数や実際の利用状況、全商品の請求条件がない。記載価格は事業者の提示額であって、負担可能性や市場占有率の測定ではない。

この商品の併存は重要な手掛かりだ。プロバイダーは広いインターネット接続を売りながら、範囲を絞ったメールサービスも提供できた。SADC事務局には地域メールの経路があり、その次を検討していた。商用接続の登場によってメール専用サービスが直ちに不要になったわけではない。顧客ごとに必要な到達範囲、機器、費用負担は異なり得るが、どの顧客がどの商品を選んだかは分からない。

開通していない可能性を残す回線計画

12月のInfo Botswana報告は、Sprintへの直結とSAIXの第2回線を将来の計画として挙げる。これらを開通済みの経路として書いてはならない。11月のNSRC tracerouteは別の限定的観測である。英国側から始まった一つの経路が、表示された経路を通ってボツワナのInfo Botswanaホストに到達した。単一の追跡結果から通常時の利用可能性、品質、全国的な提供範囲は分からず、SADCの経路についても何も示さない。

規制の時間軸も別にある。BOCRAの沿革では、通信法と自由化は1996年、BTAの設置は1997年、最初のISP免許は1999年とされる。ITUの回顧研究は、最初の免許が発行される前にも事業者は運営を認められていたと説明する。この後年の制度情報は環境の変化を理解する助けになるが、Info Botswanaの1996年当時の具体的な許認可や監督方法までは確定しない。

Heng LuのNote 64は、相互運用に必要な共通仕様に絞り、後の選択を各地に委ね、採用は実際の利用で確かめるという考えを示す。ここでは1996年の関係者に帰属させる史実ではなく、編集上の問いとして用いる。地域メールの必要性と、各機関がインターネットを選ぶ判断を分けて見るためだ。SADC事務局の計画と、事業者が報告した稼働中の接続は、別々の採用経路である。

資料から言えることは限定的だ。1996年末、ある商用ISPは64Kフル接続の運用を報告したが、SADC事務局の記録は9,600ボーのUUCPメール回線とインターネット接続計画を示していた。Info Botswanaはインターネットとメール向けの商品を併売していた。新しいサービスが一挙に古いサービスを置き換える一本道ではなく、機関と利用者が異なる通信層を選べた時期である。その規模や結果は、今も記録からは確定できない。

出典