要約

  • 1999年7月は計画上の目標であり、Huterは64 kbpsのIP回線が10月中旬に稼働していたと報告した。
  • ping、traceroute、SMTPの記録が示すのは一つの経路とサービスで、全国や各家庭の接続ではない。

1999年12月3日、ネットワーク技術者のSteven Huterは、単なる開通報告ではなく、ping、traceroute、そしてツバルのメールサーバーが返したSMTPの応答を送った。その記録から二つの節目を区別できる。国別報告が掲げたのは7月までの実施目標。Huterが後に報告したのは、10月中旬にはニュージーランド経由の64 kbps IP回線が稼働していたという観測だ。計画の期限と実際の経路を試した記録は同じではない。どちらも全世帯や外島の利用を証明しない。

Telecom 99向けのツバル国別報告は、当時インターネットサービスがなく、資金不足で計画が遅れていたと述べる。UNDPが資金提供に同意し、計画どおりなら1999年7月までに実施するという見込みだった。同じ報告は、その年の早い時期にニュージーランドとのIDR回線が設けられたことも記しているが、これは国際電話トラフィックの回線である。IPサービスの稼働を示す記録として扱うことはできない。

1998年のITU地域報告は、短期目標にインターネットへの参加を挙げ、Funafutiと外島を結ぶ国内衛星電話網も記していた。外島の住民にとって気になるのは、国際IP回線が日常的に使えるサービスまで届いたかどうかだ。しかし、Huterの記録が示すのは一つの宛先への試験であり、そこまでは分からない。

返信が示す範囲

Huterは回線が1999年10月中旬時点で稼働していたと報告した。pingは9個を送信し、8個の応答を受信、平均往復時間は871.5ミリ秒だった。tracerouteは試験元からfale.tuvalu.tvまでに見えたホップを記録した。別のTelnet接続ではメール用ポートに到達し、SMTPの挨拶応答を受け取っている。

それぞれが答えるのは限定された問いだ。pingは、その試験中に指定ホストへ届いたパケットと戻った応答を示す。tracerouteは、その観測地点から見える経路を記録するが、方法上の制約がある。SMTP応答は、その接続でメールサービスが応答した証拠になる。組み合わせれば、機器や計画の説明だけでは得られない、稼働中のIP経路の証拠となる。

ただし、日常の利用状況を測ったものではない。一度の試験から稼働率、通常の遅延、混雑時の容量、料金、利用者数、外島への提供範囲は分からない。「64k」はHuterが回線を表した値で、各利用者の実効速度ではない。ホストが応答したことも、全国で一般向けISPサービスが始まった証明ではない。

回線の存在と利用者の接続

ツバルには通信インフラがすでにあった。1999年の国別報告は国内衛星網と、年初にニュージーランドへ設けた国際電話回線を説明する。Huterの記録が示した新しい事実は、IP経路が観測できたことだ。衛星の伝送路や電話回線の存在だけでは、インターネットのルーティングやアプリケーションの応答までは分からない。

したがって、インターネットの「到来」を一つの日付にまとめるのは適切でない。1998年の地域報告は目標を記録し、後の国別報告は資金と期限を示しつつ、サービスがまだないと述べた。12月のメールは、稼働を10月中旬にさかのぼらせ、ネットワーク試験を添えた。ISPが顧客へサービスを提供した時期や、離島の住民に利用が広がった時期には、別の証拠が必要だ。

記録は具体的だが、対象は狭い。技術者一人の同時代報告、ひとつの宛先、数回の試験である。それは計画と稼働中の経路を区別するには十分だが、全国の利用状況を数えるものではない。資料から言えるのは、ツバルが1999年に計画段階から技術的に観測された国際IP接続へ進み、Huterの報告では10月中旬に回線が稼働していた、という範囲である。

出典:ITU WTDC-98 文書74-E、ITU Telecom 99 ツバル国別報告、NSRCが保存するSteven G. Huterの1999年12月3日付技術報告。