要約

  • 1991年8月17日、Faculty of Physics, University of Warsawは、BITNET向けに借りた回線の1チャネル、9,600 bpsのモデム、MS-DOSパソコン上のKA9Qを使い、欧州インターネットへのTCP/IP接続を確立した。
  • この日は、実際に使えるインターネット経路の節目であり、ポーランド初の電子メール、新たな全国バックボーン、あるいは一般市民向け接続の開始を意味しない。大学の回顧は1990年のクラクフとCERN間の先行メールも記録し、より広いグローバル接続は1991年11月としている。

分析

別のネットワークから借りたチャネル

1991年の接続で注目すべきなのは、物理的な規模の小ささだ。Faculty of Physics, University of Warsawの回顧によると、記念されるメール交換には、ポーランドのBITNET向けに借りた通信回線の4チャネルのうち1つが使われた。データは9,600 bpsのモデムを通った。TCP/IP実装のKA9QはMS-DOS搭載のパソコンで動き、ルーティングを担った。ゼロから建設した全国バックボーンではなく、学術ネットワークがすでに使っていた容量にインターネット経路を載せたのである。

この構成は、プロトコルと伝送設備を分けて考える必要を示す。TCP/IPは、別々に管理されるネットワークがパケットを交換する方法を与える。しかし回線、モデム、ルーターを用意するわけでも、他サービスが借りている容量を使う権利を自動的に与えるわけでもない。物理学部のチームは機器を設定し、経路を実際に動かさなければならなかった。Marcin Gromiszは後年、学部内のネットワークでTCP/IPを使っていたにもかかわらず、最初の交換に向けたハードウェアとソフトウェアの準備に約1週間を要したと振り返っている。控えめな回線と現場の技術作業から生まれた成果だった。

8月17日が示すもの

1991年8月17日は、ポーランドのインターネットの象徴的な起点として扱われている。Faculty of Physics, University of Warsawの回顧はワルシャワからのメール交換を記し、TCP/IPに全面的に基づくポーランド初のインターネット接続と説明する。経路をコペンハーゲンと欧州ネットワークに結び付ける一方、ハンブルクのDESY研究所にも触れる。また、当時University of Copenhagen計算機センター長だったJan Sorensenを、インターネットで送られた最初のポーランド発メールの受信者として挙げる。Instytut Łącznościの2026年の回顧もワルシャワ―コペンハーゲン接続とDESYに関係するメール交換を記している。

これらの記録には元のメールヘッダーや完全なパケット経路がなく、到達先の説明も完全には一致しない。そのため、一通のメールの経路を復元するよりも、接続そのものと役割を述べる方が確実だ。すなわち、1991年8月、ワルシャワの物理学部が欧州インターネットへのTCP/IP経路を確立した。確認した公開資料からは、記念されるメールの正確な宛先を確定できない。

「最初」という語にも範囲が要る。物理学部自身、これがポーランドから送られた最初の電子メールではないと説明する。1990年11月、クラクフのInstitute of Nuclear Physics of the Polish Academy of Sciencesの物理学者がCERNからメールを受信し、経路の一部でTCP/IPが使われたという。電子メールはEARN/BITNET、X.25、DECnetなどのネットワークでもやり取りされていた。こうした先例が1991年の重要性を損なうわけではない。「最初のメール」「経路のどこかでTCP/IPを使った最初の通信」「経路全体がTCP/IPで動く接続」は、それぞれ異なる歴史上の主張である。

世界に先立つ欧州接続

8月の接続によって、あらゆる宛先にすぐ届くようになったわけではない。物理学部の説明では、欧州インターネットへの接続は8月、グローバルなインターネットへの接続は1991年11月だった。国際回線が動いていても、到達範囲には境界があり得た。通信範囲はワルシャワでTCP/IPが動くかどうかだけでなく、経路と、トラフィックを交換できる他のネットワークに左右された。

この日付をポーランドの国別ドメイン創設と混同してもいけない。IANAは.plの委任日を1990年7月30日としている。NASKのレジストリ史には1991年に稼働した最初の.plドメインが記され、University of WarsawにあるNASKの調整チームが1992年1月にレジストリ業務を引き継いだとある。ドメイン名は命名システム上で機関を識別するが、実際の回線が動いていた証拠にはならない。名前と伝送は関連しながらも、別々の時間軸で進んだ。

背景にあったのは科学研究の需要だ。Faculty of Physics, University of Warsawの回顧は、CERNを含む海外の研究者と情報を交換する必要を接続の理由として挙げる。同学部は、COCOMの規制が1980年代後半にポーランドの研究者と学術ネットワークとの接触を妨げ、政治変化と物理学者の働きかけを経て1990年2月に解除されたと説明している。これは機関による後年の説明であり、技術・行政上の障壁が一度にすべて消えたという意味ではない。NASK調整ネットワークは1991年4月に設立され、8月の接続に先行した。ポーランド初のUsenetグループとWebサーバーは1992年、1993年に続いた。

証拠から導ける結論は、範囲が限られていても重要だ。大学のチームは既存の借用回線を欧州へのTCP/IP経路に拡張し、自分たちで設定できる機器とソフトウェアを使った。これによりポーランドの研究ネットワークの実用的な到達範囲が広がった。一方、全国の利用者数、各大学への一様な接続、稼働率、家庭向けサービスは資料から確認できない。一般向けのダイヤルアップは後年のことであり、研究室のモデムにその意味をさかのぼって与えるべきではない。

出典