要約

  • NSPIXP-1はWIDEの東京NOCに設置されたが、交換用セグメントはWIDE Internetから独立し、WIDEのAUPの対象外とされた。
  • WIDEの1995年報告は、1994年10月のレイヤー3からレイヤー2への移行を記録し、参加事業者側へ経路制御を移す設計を説明している。

同じ建物でも、同じ規則とは限らない

NSPIXP-1を理解する手がかりは、物理的な設置場所とポリシーの境界が一致していなかったことだ。日本初期のネットワークサービスプロバイダー向け交換拠点は、WIDE Projectの東京ネットワーク運用センター WNOC-TYO に置かれた。それでも交換用セグメントはWIDE Internetから独立したものとして構成され、WIDEの利用規約(AUP)の適用範囲外に置かれていた。場所を借りることは、同じネットワーク規則に入ることを意味しなかった。

この分離は運用上の意味を持つ。交換拠点は、独自の顧客とトラフィック判断を持つ複数のネットワークを接続する。WIDEが場所を提供しても、接続事業者を自らのネットワークに組み込んだり、同じ利用規則を自動的に課したりする必要はない。WIDEの1995年年次報告は、この分離を実験の設計要素として説明している。ただし、すべての参加者がその仕組みを中立だと評価したことや、それだけで相互接続の問題が解消したことまでは示していない。WIDE 1995年報告

報告書が示す期間は二つある。第I期は1994年4月から1995年3月、第II期は1995年4月から1997年3月だ。これは報告書上のプロジェクト期間であり、単一の開始日ではない。JPNICの年表は1994年3月の設置と12月の運用開始を別々に記している。機器設置、実験、サービス開始は同じ日とは限らない。JPNIC年表

第I期のあいだにルーティング方式も変わった。WIDEによれば、初期にレイヤー3を選んだのは、事業者間で技術力に差があったためだ。1994年10月にプロジェクトはレイヤー2へ移った。報告書の説明では、レイヤー3では交換拠点が経路ポリシーを担い、事業者がその方針に依存する。レイヤー2では各参加事業者が自らのルーターを運用し、経路選択を行える。2005年のWIDEの回顧も、方針を決める主体が交換拠点から各ISPへ移った点を説明する。WIDE 2005年回顧

制御の移行によって調整の必要がなくなったわけではない。事業者とBGP設定が増えるにつれ、第II期は経路レジストリやルートサーバーを研究対象にした。課題は、各ネットワークが必要な経路情報を交換しながら、交換拠点の運営者が各事業者のポリシーを恒久的に決める立場にならないようにすることだった。

商業上の圧力はネットワーク事業者から生じていた。WIDEの参加者だったOsamu Nakamuraは、2011年のJPNIC記事で、国内トラフィックが不必要に米国を経由することと国際回線の費用を避けたいという要望、他社からの流入が自社資源を使う懸念を振り返る。初期の「ヒューズ」方式では、各社が交換拠点につなぐ回線容量を選び、例としてT1の1.5Mbpsバックボーンに対する192Kbpsが挙げられる。彼の回顧では、開始時は4社で、1995年末までに20社を超え、その後ヒューズの容量不足がパケット損失につながった。これらは参加者による後年の証言であり、独立測定の時系列データではない。NakamuraによるJPNIC史

NSPIXP-1の記録が重要なのは、混同されやすい二つの問いを分けて見せるからだ。交換拠点を誰が置くのか、そしてネットワークに適用される方針を誰が制御するのか。この事例では、ホストとAUPの境界を分け、その後、ルーティング方式を参加ネットワーク自身の判断へ近づけた。ディレクトリにあるWIDE Projectの項目は組織の背景を示すもので、この記事はWIDEのプロフィールではなく特定の実験を扱う。

資料が裏付けるのは限定された結論だ。予定されたAUP境界、接続モデルの変更、容量制約に関する参加者の後年の回顧は確認できる。一方で、すべての経路の記録、国内の全トラフィックが米国を経由しなくなったという証明、各事業者が同一の運用を採用したという証拠はない。