Summary

  • モロッコではメール、大学のIP専用線、一般向けアクセスが別々の時期に始まった。
  • 記録の読み方

UUCPメール、大学IP線、一般向けダイヤルアップを区別する。1995年の経路記録は単一の到達先、1996年の運用者メールは回線と販売方式を示す。いずれも全国の信頼性や利用者数は測っていない。.

  • 制御点

EMIは大学メール、アル・アハワイン大学は自校回線、ONPTは国際線と再販基盤を担った。公衆市場には国内電話線や価格も影響した。サービス名を取り違えると、早期のメール利用も、後の一般アクセスも歴史から消える。.

1993年12月の記録で、ラバトのエコール・モハメディア・ディンジェニエール(EMI)は「現時点では電子メールサービスのみ」とされ、完全な接続は将来の見通しだった。NSRCが保存したこの記録は、稼働するメールと当時の予測を示すが、予測どおりの開通を証明しない。

1997年の北アフリカ研究によれば、EMIは電話接続とUUCPを使い、EUnetのパリ拠点を介してメールを交換した。欧州への通話が高価だったためだという。UUCPはメッセージを運べたが、常時のIPルートを各利用者に提供しなかった。それでも研究者は国境を越えて連絡できた。

1995年9月のtracerouteは、モロッコ側からEUnetのフランス、アムステルダム、ウィーン、米国MCIを経てオレゴン州のNSRCに届く経路を記録する。これは一つの宛先への到達であり、全国利用の証明ではない。1996年1月、AlaouiはNSRCに、アル・アハワイン大学の64Kbps専用線が数か月動いている一方、ONPTの米国向け256Kbps線も数週間稼働し、ONPTが接続販売や再販を進めていると伝えた。

後年の資料はEMIの1993年メール、1995年のTCP/IP接続、同年末の一般提供を別々に記す。日付の違いはサービスの定義に由来する。Heng LuのNote 65は分析上の補助線であって歴史資料ではない。メール、IP経路、一般アクセスを区別すれば、誰が何を使えたかを保ったまま物語れる。

Sources: NSRC, EMI record (1993); North Africa connectivity study; NSRC traceroute (1995); NSRC update (1996); First Monday (2003); Human Rights Watch (1999); MARWAN history.