要約
- 資料は、1993年のノード一覧、1995年のFidoによるメール転送、1996年1月の英国から一台のホストへの経路、続く商用サービスと大学網を別々に記録している。
bow.intnet.muへのtracerouteが示すのは、ある日に一つの観測地点から一つの宛先へ到達できたことだ。国全体の利用状況や、国内で最初に送られたパケットまでは証明しない。
「接続」の中身をほどく
「いつモーリシャスがインターネットに接続したか」という問いには一つの日付を置きたくなる。しかし、史料が記録するのは単一の出来事ではない。1993年4月の一覧には、ORSTOMのUUCPノード、公開FidoNetノード、モーリシャス大学計算センターが載る。大学の記載は2400ボーのダイヤルアップ回線を示していた。これは当時の連絡先とサービスの一覧であり、そこに載る各システムが一つの対話型IPネットワークを構成していた証拠ではない。
メールは、利用者自身が常時インターネットへ接続しなくても国境を越えられた。FidoNetはメッセージを保存し、ノード間の交換時に転送した。UUCPも予約された通信でメールやファイルを交換できた。利用者の端末から遠隔ホストへ直接経路がなくても、最終的にインターネット側のメールボックスへ届く場合がある。通信の存在と、対話型アクセスの存在は同じではない。
1993年12月の記録は、モーリシャスのORSTOM/RIOノードとの通信が中断され、再開時期がわからないと伝える。ただし、アーカイブはこの記述をRIOノードに限っている。島内のあらゆるネットワークが停止したという意味ではない。特定事業者の特定経路に依存するサービスが途切れた、という範囲で読むべきだ。
1995年のメール網
AGANetの創設者は1995年1月、24時間稼働のローカルなダイヤルアップ電子メールサービスを説明した。メールはFidoを通じて南アフリカのSANGONet/WorkNetへ転送された。彼らは同じ文面で、モーリシャスにはまだ対話型インターネットアクセスがないと明記している。6月、Altaf Dossaは非営利のローカルノードと、加入者へインターネットメールを提供する商用BBSを紹介した。そして、南アフリカまでの専用線費用が障壁であり、島はまだネットに接続していないと述べた。
この二つの説明は食い違いではない。メールを送る手段があっても、任意のインターネットホストへその場で接続できるとは限らない。BBSがメールを中継するサービスを販売することはできるが、それを一般的なインターネット接続サービスと同一視はできない。利用者にとって実益のある国際通信でありながら、別の技術的・商業的体験だった。
1月26日の経路記録
1996年1月26日、英国の観測者はbow.intnet.muのSMTPに接続できたと報告し、194.51.132.6までのtracerouteを掲載した。表示された経路はImperial CollegeとJANETを出て、DANTE/BT、EBONEを通り、フランスのRAINルーターを経てモーリシャスのホスト名へ進む。記録には、ベナンにも似た名称のホストがあるが、別の場所にある別のマシンで同じ組織に属すると補足されている。
ここから言えるのは、1月26日に英国のこの地点から特定の宛先へ到達でき、SMTPが応答したということだ。一般加入者の利用可否、国内の利用者数、料金、全国での提供範囲や連続稼働はわからない。tracerouteは特定のプローブに応答した中継ルーターを示す測定であり、利用者の国勢調査ではない。経路の一部が応答しないことだけで、必ずしも通信が途絶えていたとも言えない。
題名の「最初」も資料の範囲に限られる。これは今回確認した史料群に残る最初のping記録であり、モーリシャスから初めてIPパケットが送られた日を確定するものではない。最初に見つかった記録と、最初に起きた出来事は区別しなければならない。
商用サービスと大学網
ITUの2004年ケーススタディは、Telecom Plusが1996年2月に商用インターネットサービスを開始したと回顧している。これは後年の調査が示す日付として扱うべきだ。1月のtracerouteは単一ホストへの到達を示し、商業サービスの開始日を直接告げるものではない。
同年12月、モーリシャス大学の講師は、六つの建物にあるEthernet区間を光ファイバーで計算センターのスイッチ型バックボーンへつなぐ構成を報告した。本人の説明では、およそ250人が電子メールとWorld Wide Webを利用していた。486プロセッサ、Ethernetカード2枚、Linuxを搭載したPCがルーターを務め、64 kbit/sのIP over X.25でTelecom Plusへ接続したという。また、Mauritius Telecomは国内向けサービスのため、フランスまで128 kbit/sのIP over HDLC回線を持ち、SPRINT回線を検討していたと記した。
人数と帯域はこの運用者の報告に基づくもので、独立監査値ではない。それでも、キャンパスのLAN、光ファイバー、ルーター、X.25、通信会社、国際回線という構成が見える。一つの「接続」は、組織間で維持される複数の設備と契約の連鎖だった。
一つの年表に押し込まない
利用可能な資料は、1996年に何世帯が使えたのか、いくら払ったのか、サービスがどれほど安定していたのかを示していない。1995年のメールは中継と専用線費用への懸念を記録する。1月のtraceは一つのホスト、ITUの研究は商用開始の回顧日、大学のメールは一つのキャンパス網を記録する。いずれも別の問いへの答えだ。
Heng LuのNote 64は、共通プロトコルによる相互運用と、地域ごとに選ばれる伝送手段や採用の仕方が両立するという編集上の視点を与える。モーリシャスの事実を裏づける資料ではない。歴史的根拠はアーカイブメールとITUの調査に置く。
「最初の接続」という一つの祝日を探すより、異なる証拠を並べる方が実態に近い。1993年の一覧、1995年のメール中継、1996年1月のホスト到達、2月の商用開始という回顧日、12月の大学網。それぞれの出来事を保ち、後の証拠で前の層を消さないことが重要だ。
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