要約

  • 1991年8月25日の comp.os.minix 投稿は MINIX 利用者の希望を尋ねたもので、公開告知でも Linux という名称の発表でもなかった。
  • Linus Torvalds の後年の回想と v0.01 の記録は、9月の限定的なソース公開と、10月5日の v0.02 配布告知を別の節目として示している。

質問の投稿は始まりでも、リリース告知ではない

1991年8月に投稿された有名な文章は、完成品の発表というより相談に近い。件名は「What would you like to see most in minix?」。Linus Torvalds は、386/486 AT 互換機向けの小さなプロジェクトを数か月前から進め、Bash と GCC を移植したと説明し、MINIX 利用者に欲しい機能を尋ねている。ただし、提案を実装する約束はしていない。投稿本文にプロジェクト名 Linux もない。

日付を分けると記録が読みやすくなる。Torvalds の1992年の回顧は質問を8月25日とし、0.01のソースは9月中旬ごろに提供されたと述べる。0.01は関心を示した一人への「象徴的な行為」であり、誇らしく告知した公開版ではなかったという。リポジトリの v0.01 タグには1991年9月17日の日付がある。投稿、ソースツリー、幅広い利用者への配布は別々の出来事だ。

ダウンロード先より先に、ネット上の相談があった

経緯は8月より前に始まる。7月3日、Torvalds は同じニュースグループで POSIX 仕様の電子版と FTP サイトを尋ねた。翌年の回顧によると、予想外の返答があり、arl と呼ぶ読者との電子メールのやりとりに続き、nic.funet.fi に Linux ディレクトリが設けられた。これは参加者による後年の記憶で、通信ログではない。それでも、具体的な技術質問が知識やホスティング場所を持つ人につながる過程を示している。

8月の投稿は、MINIX を知る利用者から希望を聞く場になった。開発中のカーネルと想定環境の利用者を結んだが、閲覧者数や、どの提案がコードに反映されたかは分からない。確かめられるのは、関連するニュースグループに質問し、メールで会話を続け、FTP サーバーからファイルを取得できるようにするという協業の形だ。

0.01 の実用範囲

v0.01 の説明は、未成熟で386 AT機に限られるシステムとして記述している。公開用のカーネルバイナリはなく、利用者が設定とコンパイルを行い、環境の準備には MINIX が必要だった。一方、二台のマシンで動作するカーネルを得たとも記す。後年の回顧にある「実際には動かなかった」という表現は、別の基準を使っているようだ。既存のツールと準備に依存するソース一式は、独立して導入できるシステムとは言えない。

片方の記録を消す必要はない。制約のある開発環境でカーネルが動くことと、自力で導入できることは異なる。ソース公開は中身の確認を可能にしたが、コンパイラ、起動手順、ハードウェア、ライブラリへの依存は残った。

10月に広がった招待

10月5日、Torvalds はより広い配布を意図した 0.02 を告知し、nic.funet.fi:/pub/OS/Linux を示した。カーネルの全ソースと少数のバイナリを挙げ、意見や自由に再配布できるユーティリティを募った。同じ投稿は、コンパイルと準備に MINIX-386 が要ること、ライブラリが完全には再配布できないことも明記する。より多くの技術者への招待ではあるが、完成した独立システムの宣言ではない。

8月から10月への変化は、版番号だけではない。最初は想定利用者が何を望むかを聞き、次に具体的な FTP ディレクトリから、より進んだ成果物を取り出せるようにした。Usenet は質問を知らせ、FTP はファイルを届けた。どちらも普及の証拠にはならない。残る資料にはダウンロード数、導入成功数、後の貢献者数がない。

1986年の RFC 977 は NNTP を説明し、Usenet のニュース配信とメーリングリスト、UUCP などのホスト間転送を区別している。ニュース記事が流通する仕組みの背景にはなるが、この特定の投稿がどのサーバーを通ったかは示さない。歴史として確かなのは段階ごとの告知と制約であり、一通の投稿が完成した Linux を生んだという神話ではない。

参考資料