要約
- 1992年10月、EcuanexはUUCPでAPCとメールや会議投稿を交換していた。一方、EcuanetはBanco del Pacíficoのマイアミ向け衛星回線を通じてインターネット接続を提供した。
- 1993年1月に稼働した64 kbpsのSprint/ICM接続はEcuanetの別経路となり、エクアドルの29ネットワークを経路に載せる手続きを始めた。大学骨幹網の構想は、まだ計画だった。
一つの国で「オンライン」は二つの意味を持った
1992年10月、Ecuanexの技術担当者が送ったメールは、エクアドルに一つのネットワークしかなかったとは述べていない。似た名前を持つ二つのサービスは、別々の組織によるものだと明記している。Ecuanexは大学、NGO、社会・環境団体など、約100人・団体に電子メールと会議サービスを提供していた。そのノードはサンフランシスコのAssociation for Progressive Communications(APC)と、UUCPで1日2回メッセージを交換した。多くの利用者はオフライン閲覧ソフトを使い、電話回線の品質や利用可能性が主な技術上の制約だった。
同じ頃の通信は、Banco del Pacíficoが数か月前に開いた新しいインターネット回線にも触れている。銀行はマイアミへ向かう衛星回線の一部と国内専用回線を提供し、大学や大口利用者がこれから使い始める段階だった。月末のEcuanexのメールは区別をさらに明確にする。Ecuanexはサンフランシスコ経由のUUCP、Ecuanetはマイアミへの衛星回線を使う稼働中のインターネットサービスだ、という説明である。ここでの言葉は当時の通信相手のものだ。実務上の差は伝送方式に表れる。蓄積転送型のメールは有用な国際通信を可能にしたが、常時使える対話型IP経路とは違う。
この差を無視すると、接続の時系列が崩れる。Ecuanexの利用者はメッセージを交換し、会議に参加できたが、個々のコンピューターがインターネット上のホストへ直接到達できたわけではない。Ecuanetの利用者は銀行の通信網に支えられたゲートウェイからインターネット資源へ進めたが、組織やダイヤルアップ利用者がEcuanetノードまでつながる場合に限られた。どちらの構成も、エクアドル全土が接続済みだった証拠にはならない。
銀行の通信網がインターネット経路になった
Banco del Pacíficoの役割は出資だけではない。1992年10月にエクアドルを訪れた米国National Science Foundationの職員は、Ecuanetを、大学などの非営利機関が無料で利用できる非営利ネットワークとして紹介した。Ecuanetは、ATMや支店間の音声・データ通信に使われていた銀行の国内通信網から帯域を得て、マイアミ向け衛星回線も使った。別の目的で作られた通信システムの上に、インターネットサービスが載っていた。
共有インフラによってEcuanetは独自の国内・国際網をすぐに一から建設せずにサービスを広げられた。その一方で、同じ仕組みが利用可能性を左右した。ガラパゴスについての報告によると、プエルト・アヨラの銀行支店からそれほど遠くない研究所には、まだインターネット接続がなかった。端末サーバーの設置が予定されていた。大陸からの試験では回線は毎秒2,400ビットで動き、衛星帯域の利用可能量は銀行業務や時間帯によって変わると報告された。これは試験結果と計画の記録であり、ガラパゴスの完成済みサービスや全国の速度を示すものではない。
1993年3月の全国データベース会議で、Ecuanetはより広いサービス構想を発表した。同年後半に刊行された会議録は、グアヤキル、キト、クエンカ、アンバト、マチャラ、マンタ、ガラパゴスのノードを挙げている。機関向け専用線と、小規模組織・専門職向けのダイヤルアップ接続も説明した。教育・研究機関と医療機関は会費免除、専門職は月10ドル、その他の組織は規模に応じて拠出するという条件だった。これは運営者が公表した条件と拠点構想で、加入者数や性能の独立調査ではない。
会員制度はアクセスの境界を見せる。大学は専門職や民間企業とは異なる条件を受けたが、どの場合も機器、地域回線、Ecuanetノードへの接続が必要だった。会費無料でも、モデムや専用線、共有衛星帯域の費用は消えない。
動き始めた経路と、まだ建設前の骨幹網
当時の記録には三つ目のネットワークも登場するが、こちらは未来形だ。1992年11月のRed Ecuatoriana de Información Científica y Técnica(REICYT)案は、6大学、国の科学評議会、中央銀行の情報サービスを結ぶ大学・研究ネットワークを提案した。キト、グアヤキル、クエンカの間に9.6 kbpsの専用線を設け、キトからプリンストンのJVNCnetへ64 kbpsの衛星回線を張り、25本のダイヤルアップ回線を用意する計画だった。実現可能性調査は終わり、数か月後の着手が見込まれていた。投資額は約150万ドル、18か月と6か月の二段階で見積もられた。
この計画を、マイアミへ向かうEcuanetの稼働中の回線と一緒にしてはならない。後援者、接続先、進捗が異なる。REICYT案が役立つのは、予定する範囲と、これから必要な工事が具体的だからだ。そこに書かれた回線、衛星アンテナ、電話回線が動いていたことを示す資料ではない。
1993年1月20日、Sprintのインターネット技術チームは、新しいSprint/ICM–Ecuanet回線の開通を発表した。フロリダ州ホームステッドのPanAmSatテレポートにあるSprint/ICMルーターが、Ecuanet(AS 2277)と64 kbps回線でピアリングした。同日、Sprintはエクアドルの29ネットワークをNSFNET上でルーティングするための管理変更要求を提出した。メールはこれを、ホームステッドの新ルーターが扱うラテンアメリカのネットワークとしては最初のバックボーン接続と呼んだ。ラテンアメリカで最初のインターネット接続とは書いていない。それ以前のEcuanexとEcuanetのサービスはすでに記録されている。
回線の稼働と経路登録要求は別々の証拠だ。64 kbpsチャネルは動き始めたが、29ネットワークの登録要求は経路を載せる手続きの開始を示す。全ネットワークがすぐ到達可能だったこと、各機関が使ったこと、Ecuanetの帯域が専有だったことまでは証明しない。
二つの組織は境界を交渉し続けた
Sprint回線が現れても、サービスの違いは消えなかった。1994年12月、Intercom/Ecuanexは5か年計画、大学キャンパス網をまとめる協議、APCとの関係を通じて新たに加える会議サービスについて記した。さらに、Banco del Pacífico傘下のEcuanetへ直接・対話型のインターネット接続を提案し、返答を待っていると説明した。記録されたのは未回答の提案で、後日の接続完了ではない。
この依頼から、以前の構造が見えてくる。Ecuanexには稼働中の地域サービスとUUCPによる国際メッセージ交換があり、Ecuanetには銀行通信網を使うパケット経路があった。Ecuanexはなお直接の対話型接続に価値を見ていた。どちらも国境を越えてメッセージを運び、「インターネット」という語を使ったとしても、両者を同じサービスとはみなせない。
接続記録を読む
ここで歴史を組み立てる単位は、創設日や国名ラベルではない。利用者が実際にたどれる経路だ。オフライン閲覧ソフトと定時のUUCP交換、Ecuanetノードへのモデムまたは専用線、共有衛星経路、そして1993年1月からは接続相手を特定できるピアリングと経路登録手続きである。同じ記録には細かな構成を備えながら、まだ実装前の大学網も残っている。
三つの問いを分ける必要がある。メッセージは国境を越えられたか。機関は対話型IP経路を持っていたか。全国骨幹網は建設済みだったか。エクアドルには時期ごとにそれぞれの証拠があるが、一つの出来事で三つすべてに答えることはできない。計画を稼働サービスとして数えると導入を誇張する。UUCPメールを直接のIP回線と呼べば、Ecuanexが提供していた有用だが別種のサービスを見失う。
接続を左右したのは、地域電話回線、共有衛星帯域、ノードの稼働状況、組織ごとの接続条件だった。誰が、いつ、どの経路を使えたかをこれらが決めた。1994年にEcuanexがEcuanet経由の直接接続を求めたことは、運用上の境界がなお接続を形作っていたことを示す。
出典
会員向け解説
プロフィールの詳細
適切な会員レベルでログインすると、解説全文と出典メモをご覧いただけます。
Strategic Circle 限定
Strategic Circle
すべての読者に公開されています。参加してログインすると プロフィール解説 を閲覧できます。
Strategic Circle に参加Leadership Alliance 会員限定
Leadership Alliance
対象となる IP 資産の所有者・管理者向けです。ログインすると Leadership Alliance の解説を閲覧できます。
Leadership Alliance に参加
