要約
- Craig Partridgeは1989年のBBN報告書で、一ギガビットという回線速度だけでは新しいネットワーク・アーキテクチャーの必然性を証明できないと論じた。パケット率、命令数、データ接触、バッファー、往復遅延を別々に試す必要があった。
- 結論は、平均パケットが大きくなること、60〜70 MIPSのCPU、64ビットのデータ経路、十分なメモリーという明示的な予測に依存した。伝搬遅延は速くならず、飛行中データと容量学習の負担は残った。
- 1998年、BBNのMultiGigabit Routerチームは50 Gb/sの全二重バックプレーンと最大毎秒3200万パケットを報告した。これは共同開発による限定的な実装証拠であり、未完成部分や推定値も文書に残された。
距離は帯域を在庫に変えた
BBN Report No. 7080は1989年6月5日付で、IETF第14回会合の資料に収録されている。当時は、10 Mb/s級のLANから一ギガビットへ進めば、特にデータグラム方式は耐えられないという見方が強かった。どこで壊れるかは曖昧でも、一ギガビットという大きさ自体が新方式の根拠になりかけていた。
Partridgeは高速化の難しさを否定しなかった。データグラムと仮想回線のどちらかを思想的に選ぶことも避けた。問いはもっと狭い。一ギガビットを実現するのに、現在の方式では解けない固有の問題があるのか。両方が到達できるなら、選択は機能や好みであって、技術的強制ではない。
まず、遅延と帯域を掛け合わせた。長距離の例では、回線中に保持すべきデータは約5.9 MBになった。通信事業者の遅延から往復が少なくとも120ミリ秒になる例では15 MBである。1989年のメモリーにとって軽い量ではないが、到達不能でもなかった。これは普遍的なバッファー推奨値ではなく、距離をバイト在庫として表した歴史的計算である。
対照的に、100個の交換要素がそれぞれ許された処理時間を使っても、追加バッファーは約12.5〜20 KBと見積もられた。支配的なのは、多数の高速な局所判断よりも、光が地理を横切る時間だった。
一ギガビットは一つの仕事ではなかった
報告書は二つの仮定を明示した。将来の平均パケットは当時のインターネットより小さくならないこと。そして試作段階にある部品から、初期1990年代のルーターとホストを推定できることだ。基準には60〜70 MIPSのRISC CPUと64ビットのデータ経路が置かれた。これは予報であって、保証ではない。
ルーターでは、一秒当たりの判断回数が問題になる。当時、数本のEthernet間で想定された6000〜10000パケット/秒を線形に伸ばすと、一ギガビットでは60万〜100万パケット/秒になる。60-MIPSのCPUに残るのは、一パケット当たり約60〜100命令、時間にして1〜1.6マイクロ秒だった。
仮想回線は設定費用を長い通信に分散できる。当時の基本的なIP転送は32ビットCPUで約100〜150命令と見積もられ、デバイス・ドライバーも必要だった。一方で64ビット演算、パイプライン、簡潔なドライバー、専用ハードウェアには改善余地があった。大きなパケットなら同じビット量で判断回数が減る。小さなACKばかりなら増える。線速だけでは、実行すべき仕事を一意に表せなかった。
ホストでは「読むこと」が限界になった
ルーターは主にヘッダーを見るが、ホストはデータをアプリケーションへ渡す。Partridgeは、プロトコル、OS、アプリケーションの費用を分けた。Clark、Jacobson、Romkey、SalwenによるTCP分析をもとに、固定費をおよそ1000命令、その上にパケット長をマシン語幅で割ったデータ接触費を加えるモデルを作った。
60-MIPSモデルの図では、平均パケットが約3 KBならホストは一ギガビットを埋められる。512バイトならリンクのおよそ四分の一、100バイトなら約50 Mb/sである。今日の装置に適用する性能表ではない。帯域、パケット率、メモリー接触率を別の計器で測るべきだと示す例だった。
PartridgeがBob Braden、David Bormanと共同執筆したRFC 1071には、コピーとチェックサム計算を同時に行い、一度の読み出しで二つの仕事を済ませる提案がある。計算式より、データをメモリーから何度取り出すかが高価になり得る。RFC 4297は後年、長いメッセージではデータ接触が支配的だという研究をまとめ、Sun-3/60の歴史的測定として、測定オーバーヘッドの64%がデータ接触、48%がコピーだったと紹介した。この比率はClarkらの研究に属し、Partridge個人や現代機の定数ではない。
二秒は短く、同時に長かった
フロー制御では、飛行中データを保持することに加えて、容量を知るまでの時間が問題になった。報告書の思考実験では、8バイトから始めて一往復ごとに送信量を倍増させるデータグラム送信者は、二秒未満で一ギガビット規模に達し得た。
大きなファイルなら二秒は小さい。短い対話処理なら、サービスそのものより長いかもしれない。したがって、既存の制御方式が直ちに破綻したわけではないが、経路容量について早く信頼できる情報を渡す仕組みには価値があった。局所的な改善要求と、全アーキテクチャーの廃止要求は同じではない。
報告書は一ギガビットに焦点を絞っていた。3または10 Gb/sへの外挿には厳しい数値も並び、Partridge自身が次の問いとして残した。楽観は無限スケールの宣言ではなく、予測を実装で試す姿勢だった。
1998年のルーターは証拠の種類を分けた
九年後、Partridgeを筆頭著者とする多数のBBN研究者がMultiGigabit Routerを報告した。全二重バックプレーンは50 Gb/s、転送は最大毎秒3200万パケットで、バックプレーン能力のおよそ四分の一が補助トラフィックに使われると明記された。
入線カードはパケット本体を保持し、ヘッダーだけを転送エンジンへ送った。エンジンは経路を引き、ヘッダーと指示を返す。その後に全パケットが出線カードへ移る。各エンジンは完全な転送表を持ち、中央表への高価な問い合わせを避けた。共有バスはスイッチに置き換えられ、エンジンと線カードは分離され、リンク層ヘッダーは抽象形式へ変換され、QoSの分類と出力スケジューリングも別の場所で行われた。
論文は完成状態を誇張しなかった。掲載時、インターフェース・カード以外のハードウェアは製造・試験済みで、大半のソフトウェアが動作していた。128バイト・データグラムの7〜8マイクロ秒という遅延は、ソフトウェア実測、ハードウェアのデバッグ観察、シミュレーションを合わせた推定だった。外部インターフェースがないため、完成システムの実測値ではない。
それでも、全IPヘッダーを高速に検査できること、ルーター技術が行き止まりではないことについては強い反証になった。ただし、あらゆるトラフィック構成、経路更新、障害回復、将来速度まで保証したわけではない。
人物を語るなら、反証条件も残す
Internet Hall of Fameは、Partridgeの貢献としてドメイン名によるメール配送、anycast、TCPのRTT推定、初期マルチギガビット・ルーターを挙げる。Colorado State Universityは現在、機械間でビット、パケット、チャンク、ファイルを移動する問題を扱う教授として掲載している。
この経歴を一本につなぐのは、速度礼賛ではない。数値の下にある制御面を探す習慣である。ビット率をパケット率へ、パケットを命令とメモリー横断へ、距離を飛行中バイトへ、試作機を製造済み・実測済み・推定・未完成へ分ける。
Running-Code Primacyが求めるのも、この分離だ。新しい方式を好む自由はある。しかし運用者に互換性、投資、制御権を手放させるには、既存の実行経路が失敗する場所を示さなければならない。Partridgeはインターネットが永久に変わらないと証明したのではない。1989年の一ギガビットが、まだ変更命令を発するだけの証拠を持っていないと示した。
出典
- IETF 14会合資料 — BBN Report No. 7080
- Partridgeほか — A 50-Gb/s IP Router
- RFC 1071 — Internetチェックサムの計算
- RFC 4297 — IP上のRDMAに関する問題提起
- Internet Hall of Fame — Craig Partridge
- Internet Hall of Fame — Craig Partridgeの公開肖像
- Colorado State University — Computer Scienceの教職員
- Heng Lu — Running-Code Primacy
- Heng Lu — 現実こそ製品であり、主張ではない理由
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